専門技術を身につけた。けれども、職人と芸術家とをよりわける、彼女の魂の満足はフランス人の形式のうちにはなくて、スーのリアリスティックな直観のうちにあった。
 どうして君は女に生れて来たんだ。その老匠は眉をひそめて口髭を一ひねりした。どうして君は女に生れて来たんだ。スーザンはこの言葉を、パリに来て初めてきいたのではなかった。何年か前、初めて彫刻の教師となったバーンスが、その仕事場で彼の肖像をこね出したスーザンの手元を見て、何と云ったろう。女、女、ああ何ということだ。これが女に生れようとは! バーンスはそう云って呻いた。
 パール・バックは、地の底へまでも徹るような呻吟をもって、これらの言葉を表現しているのである。
 女に生れたということは、パリでブレーク・キンネーアドと、スーザンとを再び結びあわす必然をもたらした。ブレークは、近代派の彫塑家で、きわめて富裕な大理石商の息子である。ブレークにとっては、スーザンが偉大な彫刻家であるかないかが興味ではなかった。彼がこれまで知らなかった女性としての深く大きい生命力とその素朴さ純真さが、近代的なブレークの関心をひき、スーを一人の女として自分の力で目醒めさせることに興味がおかれたのであった。
 女として自分のうちに開花させられた世界にひたったスーザンのある期間の生活は、クリスマスに久しぶりで田舎の生家へかえったとき非常に微妙な機会をえて一つの展開を見ることとなった。彼女の奏するピアノをきいて、スーの父親である老教授は、かすかに慄えて、自分がこれまでの生涯を浪費したことを悲歎した。その恐怖が彼女にブレークと自分との生活の実体についての疑問を目ざめさせたのであった。
 スーザンは、家の附近の粗末なアパートの一室を仕事部屋として借りた。そして再び仕事にとりかかった。
 ブレークの仕事の態度、傾向、それはすっかりスーザンとはちがう。スーザンが、大理石にむかってニューヨークの街に溢れる群集の中からニグロの女をとらえて彫り、北国の老婆をとらえて彫って、尨大な独特なものをつくってゆくとき、ブレークは、軽い土の塑像を、才走って、奇矯にこしらえてゆく。
 スーザンが仕事に規則正しく熱中しているうちに、ブレークはロシアの舞踊家ソーニャとの恋の遊戯におちいった。それを一年の間知らなかったのはスーザンばかりであった。しかもそれを知ったのは、彼女がブレーク
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