くって、世界の果まで旅行して、ああ私はありとあらゆることがしてみたいという溢れるような彼女の性格は、その土台が真摯な、ひたむきな素朴さ、純粋さにおかれていて、どことなくほかの女とちがった女とみられている。
 地方の大学の老教授で、家庭生活では気づよい実際的な妻におされているスーザンの父が、可愛がって手ほどきしてやった彫刻への興味は、大学生活を終ったスーの生活の真髄からの欲望となって来ている。幼馴染で、謙遜で、スーザンの内面的な強烈さ、優秀さを十分評価しているマークとの結婚は、一人の男の子と女の子とを二人の間にもたらして、終りを告げた。マークはチフスで急に死んだのであった。しかし、マークはただチフスで命をおとしたのだろうか。医者が、「お気の毒ですが奥さん、御主人は一種の精力が欠けていたとでも言いましょうか――その――」と云ったマークの生への諦めは、彼の死に無関係ではなかった。彼のその悲しい諦めは何が原因であったろう。
 スーザンは自分の心を偽らない生きかたをしているために、マークと自分との間の悲劇をもはっきりと見ていた。それは、彼女の彫刻への熱情である。
 結婚するとき、マークはスーにとって本源的な彫刻への欲望を十分理解していた。それにもかかわらず、彼女がその仕事に熱中しある成功を獲てゆくと、良人としてのマークのひそかな苦悩は次第につのった。婚約時代にもマークはスーがおりおり自分の手をぬけて、どこか遠いところへ行ってしまう、そして自分の知らない人になってしまうと云って訴えることがあった。スーザンはそのたびにどんなに体じゅうで彼のその気持を忘れさせ、彼のものである自分を納得させようとしただろう。彫刻の教師であるディヴィッド・バーンスが彫刻修業のためパリに行けと云っても、スーは良人や子供たちとはなれては充実しない自分の生活感情をはっきり知っていて、その誘いに応じなかった。
 スーザンは、自然でゆたかな一人の女として、愛する良人のマークなしで生きてゆける自分だとは思っていなかった。彼女は彼なしに生きてゆくことは出来ないのだ。けれども、彼だけでは満足出来ない。子供だけでも、家だけでも、両親だけでも、町だけでも、彼女は満足出来ない。けれども、彼女にはこのどれがなくても、自分の命の充実は欠けて感じられる。自分の仕事だけでも、やはり彼女には満足出来ないのである。
 マークが、スーザ
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