偶を失った女の人たち、その家族を失った子供たちのために、「救済」という形が考えられているうちは、たとえそれが部分的にかなりゆきとどいた方式でされようとも、世界人類の頭上を不吉なはげたかのように舞っている不幸の本質がとりのぞかれることにはならない。その「救済」さえ日本ではなげすてられている。戦争によってひきおこされたすべての国の不幸な経験は、戦争そのものの根絶という方向へ生き越され、くみとられてゆかなければならないと思う。そして世界はそのように動いている。日本だけが、何とでもしてこれから戦争へまきこまれることさえなければそれでいいのだ、という考えかたは実際的でない。直接うちに焼夷弾さえおちなければ何とか助かるだろう、と思っていたひとは幾十万かあっただろう。だが、それらの人々も、住むところを失ったのだった。戦争は、地球から絶滅されなければならない。いくらそうは云っても、現実問題としてなかなか戦争というものは無くなりはしないだろう。それが常識として通る限り、ますます根気づよく、正直に戦争の絶滅は要求され、戦争挑発はしりぞけられなければならない。
 手記の集められたこの一巻を読むとき、わたしたちは、手記そのものから、現代の人類的な課題をじかによみとることは出来にくいかもしれない。けれども、十七篇の一つ一つは、よしんばそれが断片的であろうとも、そのうちには本質的な問題がふくまれている破片である。そこには血のにじみのように、日本の社会・家族・親族関係の現実とその中におかれている婦人の矛盾した立場についての抗議や生活破壊への抗議が語られている。「女らしい生きかた」「女として生きる道」としてしつけられて来たその道、そのやりかたで、女はもう生きることさえかたくなっているのだという事実が示されている。
 この本が、同情と同感のためばかりによまれるべきだとは考えられない。わたしたちが生存を確保し、その上で、その人その人にゆるされた種類の幸福をとらえてゆくためには、この社会にどのような存在として自身をとらえなければならないかということについて、もういちどわたしたちをまじめにし、考え直させる本でもあると思う。
[#地付き]〔一九五〇年五月〕



底本:「宮本百合子全集 第十七巻」新日本出版社
   1981(昭和56)年3月20日初版発行
   1986(昭和61)年3月20日第4刷発行

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