らずに書いているのである。
これらの遺憾な諸点にかかわらず、この一篇は、有益でもあり、示唆に富む作品である。翻訳も流暢と云えないまでも、忠実にされていることがわかる。「支那ランプの石油」その他この作者の作品を読んで見たいと思わせる作品である。
注意をひかれるのは、この作者が、「外国人は全部四川省からも揚子江からも、いまに追い出されてしまうようなことになりましょう」「われわれはこの民族の偉大な興隆のほんの始まりに居合わせただけなのです」という観念と「かれらは受身でおとなしく、機械のなかにあるなにか攻撃的なものを排撃します。それでいて、西洋文明のうちでもいちばん悪い戦争の道具はこれをとりあげるようなはげしい気性をうちに持っているのです」という所謂《いわゆる》民族性の解釈とを、自身疑いを抱くところもなく並列させているところである。最後の特徴を中国民族の性格のうちにある自家撞着と見るところは、これ又何とバック夫人の見解と似ていることだろう。作者たちが、そこでめいめいの半生を費しているにもかかわらず、中国の人民というものの理解に絡みつかせているこの自家撞着は、二人の作家が婦人だというような偶
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