」即ち時代的変化の血、人間のよってもって立つところ(経済的にも)をおいている点、何か都会の小市民的インテリゲンツィアというには云い切れぬ粘り、あくどさ、くい下りがある。藤村の右のものが彼として今日あらしめ、「夜明け前」をあらしめており、それは都会的なものとは異った粘着力、土の強情さ、外見従順でインギンな執拗さであると思います。藤村においてはこの点がひどく複雑である。
例えば「新片町より」の文章をよんで、誰があれを江戸っ子の浅草住居と言うでしょう。農民が珍らしい鮮魚のエラのうらまでを、味いつくしてたべ楽しむ、ああいう舌なめずりがある。外から来たもの、都会を発見したものの都会の味いかたです。人生におけるこの味いかた、この田舎っぺえさが藤村にあっては骨子をなしている。
私は、何だか藤村においては都会の小市民的なもの(教養)の底から根づよい中農性ががんばり、顔を出しているように思います。どうかしら。それが彼の根本的の押しとなって生存せしめている忍耐ともなっていよう。
藤村における「詠嘆的、慷慨的」なものを詩人的稟質と貴方は書いておられますが、どうかしら。こういうものは藤村が自身の教養と生
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