従、愛人たちの人間らしい真情が裂かれ、傷けられ、死にながら生きなければならなかった我々の不幸な祖先たちの心の苦痛の物語である。義理人情の詩人としての大選手近松門左衛門の諸作が今も日本人の間で生きのこっているのは、そのような哀々切々たる祖先の涙が、今もなお人々の胸を刺すだけ、今日の人々の生活感情が不如意な浮世のしがらみの苦痛を知っているからである。
義理人情は、芸術化の過程にあって、謂わば社会的桎梏に対する人間性の逆説的な強調として、初めて芸術の要因たり得たのであった。義理人情が芸術の要因の重きを占めるようになった徳川権力確立以後の日本人の芸術は、感傷と悲壮との過剰に苦しめられている。しかも、これらの芸術的要素は、万葉時代にはこのような形では日本人の生活感情のうちに現われていなかったものである。まして、いわんや、フランスがえりの梶なる男が、青畳の上にころがって官能的にこの世の力を悦びながら「南無、天知、物神、健かにましまし給え」と随喜する、その神々の健全なりし時代の日本的感情の中に於ておや。
梶は、日本人の今日の常識にとってさえその真意を汲むに困難な独特日本の義理人情によって知性を否定する怪々な論を、フランス人に向ってくりかえしたのであった。なまじい梶の説明をきいたばかりに、一層フランス人の心で日本が分らなくなり、かくの如き人物が作家と呼ばれる日本の文化とは果してどのようなものであろうかという疑問を深めたであろうことは、寧ろ当然と思われる。「若い作家が肩を縮め両手を上げて驚きの表情を現した」のみであり、さすが古強者のシュール・レアリスト、ツァラアも「通訳を聞くとただ頷いて黙っていただけであった。」と云うのは、実に「笑わば笑え。正真正銘の悲劇喜劇」であると云うより外はない。
作家というものは、錯綜した社会関係の間にあって、種々の幸、不幸を経験するものである。作家横光は、日本における文学史の一時期との相対関係の上から一人のブルジョア作家として、最も不幸なる幸運とでも云うようなものを享受していたと考えられる。小林秀雄氏の評論家的出発点とその存在意義と横光氏のそれとは酷似した運命におかれた。文学の真の発展が阻害されている一時期に生じる作家と読者との黙契的諒解の上に依存して、作者の不分明な思惟や紛糾した表現を、それが不分明であり不鮮明であるため却って読者の方が暇にあかせ根気よく、各自の気分で読んで、むこうから解説し内容づけてくれるという、特殊な境遇の便宜に馴らされていた。フランスでは、この一部の慣例が通用しなかった。言葉はそれが言葉として有する意味以外には通用しなかった。カッと目を見張って神経の弱い対手を習慣的な言葉の呪文で立ち竦《すく》ませることが出来なかったと同時に「厨房日記」の作者自身も、気持よく対手の麻痺の中に自身を憩わすことも不可能であった。義理人情の合言葉が、今日の現実の裡で何かの支えとなり得ているものならば、梶は何のために寝床の中で「あーあ、もとの木阿彌か」と長大息する必要があるであろう。暗夜、迷子になった息子を探しに出て歩きながら、「ふと自分も今自分の子供と同じような目にあっているのではないかと思われ」そのような有様に現代インテリゲンツィアの苦痛の姿を見る必然があるであろう。
現代の知識人は一つの世界苦につつまれている。然し、それは、知性を否定せられることを承認し得ないところから発生しているものである。悪気流は、人間らしい知性の開発と光彩とを圧しつつもうとしている。それに対して抗《さから》いつつ、或る必要な力をもっていないという自覚に苦しんでいる、そこから現代のトスカが湧くのである。知性の喪失を、梶が謳歌していることに対して、もし、苦しんでいる知識人からの祝詞や花束がおくられると予想すれば、それは贈りての目当てにおいて大いにあやまったものと云わざるを得ない。従来馴致された作家横光の読者といえども、知性を抹殺する知性の遊戯を快く受ける迄に、虚脱させられていないのである。
横光氏は、自身の文学的教養として従来フランス文学の伝統を汲んで来たと思われる。純粋小説云々のことも、あながち、スタンダールの言葉をアンドレ・ジイドが「贋金つくりの日記」の中で引用している、その言葉の模倣のみではなかったであろう。動いたり、飛びついたり、突ころがしたりすることの絶対にない活字に、印刷されているフランスやフランス文学[#「印刷されているフランスやフランス文学」に傍点]は、ジイドやマルローまでを理解し得ているかのようであっても、刻々の実際に生きて、呻いて、血を流して、しかもそこから新しいフランス文学を産もうとしているなまのフランスには堪え得なかった一人の作家をここに見るということは、無限の感慨である。「血眼になって騒いで来たヨーロッパの文化があれだったのか」と梶は云い捨てているが、梶のヨーロッパの現実についての理解力は、日本の現実についての理解と同然、腹立たしい迄に貧弱、且つ誤りに満ちている。
自国の文化を十分に理解していないものがどうして他国の文化を理解することが出来よう。梶は、そのことの生き証人の如き観がある。梶は、国際列車にもまだ沢山の乗換場所がいる、というような言葉を機械的に暗誦し易いフレーズにまとめて云っているのであるが、この見解がもし作者自身にとって具体的な内容で把握されているのであったら、関西財界の大立物であるという友人に向って「日本の左翼はスターリン派かトロツキー派か、どっちが有力なんだ。君聞かないか」などと日本の実際から離れた奇問は発しなかったであろう。「日本も累進率の税法で、これから文化がどしどし上る一方だよ」という理論は、常人にとって全く理解し難い。それを、「梶は日本の変化の凄まじさを今更美事だとまたここでも感服する」というのは、いかがしたことであろうか。
「厨房日記」をよむと、この作者が外国でも日本でも、質のよくない情報者というか、消息通にかこまれていることがはっきり分る。それらの人々から断片的にあつめたインフォーメエションの上に立ち、而も作家としての立場からそれらの情報、説明を現実に照らし合わせて正当に判断するだけの力はない作者の無知が、言葉の綾では収拾つかぬ程度にまで作品の生地に露出している。それだけであるならば、従来もこの作者が現実に対して十分の理解をもっていなかったことの連続として、読者は新しく遺憾の意を表するに止るであろう。然し、「厨房日記」には、作者の現実に対する無知に加えられた何かがあることを感じさせられる。同じ程度の現実に対する無知がその実質であったとしても、これまでの作家横光は、少くともその作家的姿態に於ては、何か高邁なるものを求めようとしている努力の姿において自身を示して来た。内容はどういうものにしろ、高邁な精神という流行言葉が彼の周囲から生じていた。この人生に対して誠実げな足の運びで、登場していたのであった。その点で、一部の読者が彼の作品を判読したのであるし、マーケット・プライスが保たれたのであった。
「厨房日記」は嘗て高邁を称えた作家にふさわしい何物かを芸術としてのこしているのであろうか。「虚心坦懐とは日本でこそ最も高貴な精神とされているが」「今のところ、如何なる国際列車もまだ乗換場所がいくつも必要だから」「パリ人というものは自身や他人の金利のことについて口を出さぬ。もしこれに一言でも触れようものならパリ生活の秩序は根底から破壊されてしまうのだ。それは日本に於ける義理人情の如きもので、この生活を破壊して自由はないのであった。思想は生活の自由を尊重すればこそ思想である。しかしその思想が市民の根底をなす金利を減少せしめ、自由の生活を破壊に導く火を噴き上げている現在に於ては市民の思想とは如何なる種類のものであろうか。」「義理人情という世界に類例のない認識秩序の美しさ」その「生活の秩序を完成さすためには人間は意志的に無になる度胸を養成しなければならぬ」而して「嘘のようなうつつの世界から」「一足さわった芳江の皮膚の柔らかな感触だけが」「強くさし閃いているのを感じると、触覚ばかりを頼りに生きている生物の真実さが、何より有難いこの世の実物の手応えだと思われて、今さら子供の生れて来た秘密の奥も覗かれた気楽さに立ち戻り、又ごろりと手枕のまま横になった。」これが、高邁というポーズを流行せしめた一人の日本の作家の「一人前に成長した」と自認するところの姿であることを、読者は納得し得るであろうか。
アダム・イヴやプロメシウスの伝説以来人間が人間的智慧の輝しさを自覚したところから芸術は発生している。近代ヨーロッパ文学は、キリスト教に対して意志的に無になったところから生れたのではなかった。人間性を意志的に有にせんとする意欲から発祥している、「義理人情という秩序」に対して意志的に無になろうとするならば、その人は先ず第一に芸術家であることを廃業しなければならないであろう。近松は、あれほど沢山の浄瑠璃を書かざるを得なかった程、義理人情の枠を突破する現実の人間性の迸出《ほうしゅつ》を当時の社会にあって感覚したのである。
先頃来朝した戯曲家エルマー・ライスは、今日の世界の到るところに矛盾を認めた。せめて、それ迄の平静さ、へつらいなさ、淡白さを作家横光は、何故もち得なかったのだろう? 彼の特徴的な硬緊性は、どういう力の作用で「厨房日記」のように現れたのであろう。
今日、日本ではやっている日本的といわれるものの中に多分な翻訳的性質が含有されていることは、一つの顕著な時代的性格である。
小林秀雄氏は、先頃僕らは自分が日本人であるか西洋人であるかはっきり分らないと云う意味のことを書いた。ところが、それから幾何も経たないつい先頃、中野重治と戸坂潤の評論を反駁した文章(東朝)では、この二人の評論家が民族的自覚をもっていぬと云って攻撃している。小林氏はこの自然ならぬ飛躍に於て、日本の大衆は現実を批判しようとする意慾など必要としていないと云うのである。横光氏の知性の否定の傾向に結びついて、時代的な双生児である小林氏のこの旋回ぶりが哀れまざまざと浮立って映って来るのは何故であろう。
人類の歴史の発展において、迂遠なる大道である芸術の路上で、宙がえりやとんぼがえりをいくらしたとて、自他ともに益することは皆無である。少くとも数種の著作をもつ日本の作家や評論家が、不分明な日本語を操っていたうちはともかくそれぞれの立場から人間らしき知慧の明るさを求めていたのに、辛うじて平易な日本文を書き出したと同時に知性を喪失したとあっては、一九四〇年を目ざして、明朗な文化高揚のため砕心する諸賢においても、些《いささ》か憂慮を要する次第であろうと思われる。
[#地付き]〔一九三七年二月〕
底本:「宮本百合子全集 第十一巻」新日本出版社
1980(昭和55)年1月20日初版発行
1986(昭和61)年3月20日第5刷発行
親本:「宮本百合子全集 第七巻」河出書房
1951(昭和26)年7月発行
初出:「文芸」
1937(昭和12)年2月号
入力:柴田卓治
校正:米田進
2003年2月17日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
前へ 終わり
全2ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング