。『改造』新年号に「厨房日記」を読んだ人は、おそらく梶という名で立ちあらわれている一人物を通して作家横光の複雑な苦境と混乱とそれに何とか恰好をつけようとしてとられている身振りの貧寒さを感ぜざるを得なかったであろうと思う。
この錯雑した作品の中にも、実感のある幾つかの小さい箇処がある。例えば梶が帰朝第一日、浴衣に着換えて妻の実家の十二畳の広間にひっくりかえった時、組みあげた足の先と妻の指先とが思わず触れあった瞬間の含羞。久しぶりで自分の子供の幼い顔を打ち眺めつつ、自分の見て来た世界の実際の大きさに今更ながら驚く気持など、読者にそれなりの心持としてふれて来るところも無いことはない。然しながら、全体としてこの一篇の作品が提出しているものは、世界の東西を貫いて、波浪高い今日の社会における矛盾相剋の間で、意識的に体をしゃちこばらせつつ遂に揉みくしゃとなった人間の姿である。
鴎外以来、日本の作家はそれぞれの歴史的な時代に、それぞれの事情をもって海外への旅行を試みた。漱石も藤村も彼等の作家的発展の過程から、ヨーロッパとの接触をぬいて云うことは出来ない。円本時代に頻出した作家たちの海外漫遊は、ある一部の日本の作家達の経済的向上を語ったと同時に、微妙な独特性でその後におけるそれらの作家達の社会的動向に影響を及ぼした。
一九二九年以来、世界の事情は急変した。久米正雄氏が嘗て美しい夫人を伴ってアメリカ人と肩を並べ悠々漫歩したパリのヴル※[#濁点付き片仮名「ワ」、1−7−82]ールには、きょう、その時分にはなかった種類の示威行列がねっているそうである。与謝野晶子、藤村などが詩を語って、思い出の中にまざまざ生かしているであろうカフェー・リラで、今日声高く談ぜられているのは常に必ずしも、文学、音楽のことのみではない。横光氏は座談会で云っている。「外国の文士というものは聊《いささ》か政治批評をやっているね」と。
大体、外国人から、あなたの国はどういう国ですか、と訊かれたとき、返事に困らない者はないであろう。アメリカ人やフランス人たちが日本へ来てもこういう困難には一度ならず出逢うに違いない。だがそれは、日本人が外国へ行った場合に遭遇する困難とは比較にならないと思う。何故なら、アメリカにしろフランスにしろ、外国の文化人の理解の中に浸みこんでいるそれぞれの国の概念というものは現実の生活とあらま
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