い声は猶も吹聴します。
「お稽古! お稽古! かあちゃまのお膝で、お稽古!」
             *
 きっしり詰めた三百十八頁の間に、ハッチンスンは、一人の女性の悲劇を書きました。
 近代の人間らしく、彼は物語をまるで希望のない悲劇のままでは終らせませんでした。一転筆の調子を更えて、読者に、暖い、楽しい家庭の光景を示しています。けれども、その幸福、光明は、幼いロザリーが叫ぶ「かあちゃまのお膝で」との一言に、無限の意味を含めてかけられているではありませんか。
 ドラに死なれた時、「私が天の命に背いたことがあったのです」と歎いたロザリーの言葉を私共は忘れません。
 作者は、かなり鋭く女性の生活慾を理解しています。結婚生活に対する男性の観かたと女性の見かたとの違いなども、本当に女の心に立ち入って、説明しています。
 題材がこう云う種類な故か、描写の溌溂さはやや欠け、説明に堕しすぎた憾はあっても、相当深くつき入って女性の問題を解剖した後、結局来たものは、今まで多くの作家に扱われた通り女の運命は、子供を守り育てること。と云う結論です。――少くとも子等を持つ者は。
 作者が、海の広い面に向って落ちて行く翼の破れた大鳥の意匠をその本の表紙に使った心持を、私共は何と解釈すべきでしょう。
 申さずとも明です。
 然し、現代の女性一般の胸の裡には、そのロザリーの落付き得た生活様式とは何か異ったものを求める火が燃えているではありませんか。ロザリーが、小説中の人物であるとしてさえ、家庭と自己の職業を完全に両立させ得なかったことを、ひとごとでなく惜む心持があるではありませんか。
 私共は、自分の立場として、この問題にどう云う解答を、事実に於て与えなければならないか。大きな大きな宿題です。
 現代数万の女性は、いやいや母になり、万已を得ず生れた子を育て、傍ら、自己発揚の機会を奪われている不平を述ております。
 これは、どちらに対しても――自己と云う箇人に対しても、子供に対しても、無良心極る冒涜です。
 ロザリーは、職業の種類の選択を誤った為に「母の心」とよい調和を保たせ得なかったのでしょうか。
 或は、ロザリーと云う名は、現代の女性一般に与えられた名で、近代社会が生んだ女性の性格、徳性の欠陥としての事業熱、対社会の活動慾等の、消長史と見るべきでしょうか。[#地付き]〔一九二三年十二月〕



底本:「宮本百合子全集 第十四巻」新日本出版社
   1979(昭和54)年7月20日初版発行
   1986(昭和61)年3月20日第5刷発行
初出:「八つの泉」災害救済婦人団
   1923(大正12)年12月
入力:柴田卓治
校正:米田進
2003年5月26日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
前へ 終わり
全6ページ中6ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング