なる人々が自分たちのものとしてカメラを信頼する強さとにかかっている。
結果的には、写される人々のカメラへの全然の無頓着、冷淡さも画面としてはやはり或る面白さをもたらすだろうけれども、文化映画の本来の志望が、制作のための制作でないことを考えれば、永い将来のうちに、人々がいろんな場面で、自分たちの表現手段としてカメラを感じるように導かれ育てられてゆくことは、文化映画を制作する人々に課せられた、もう一つの任務でもあろうと思う。
「保姆」という題は、何かで厚木氏がふれておられるように、子供とその母を育てるという眼目をもうすこし広い形で示すものであった方がもっとよかったかもしれない。こういう性質の映画の明日の可能性を期待させる一つであったと思う。[#地付き]〔一九四一年十月〕
底本:「宮本百合子全集 第十二巻」新日本出版社
1980(昭和55)年4月20日初版発行
1986(昭和61)年3月20日第4刷発行
親本:「宮本百合子全集 第八巻」河出書房
1952(昭和27)年10月発行
初出:「日本映画」
1941(昭和16)年10月号
入力:柴田卓治
校正:松永正敏
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