の母さんの会では、子供の叱りかたについての質問が出されていて指導者は叱りつけるより先に先ず母がその子がそれをしたわけを考えるようにと教えている。その質問も答えも、質問と答えとの限りでされているのだが、もし、あの切抜き遊びと着物を切ったいたずらとの場面で、その叱りかたの生きたモメントが展開されたらどんなに啓蒙的な効果があっただろう。
制作者たちが、この場面を、一つの插話なみにしか扱わなかったのは残念だった。保姆は、母親に切り抜き絵を買ってやれというには及ばないので、何か切ってもいい紙をあずけてやるんですねと一言方向を示せばいいのだろう。鋏を使っていることを知らせるんでしたねと保姆が云えば、ほんとうに、そうと知れば鋏をとりあげておいたのに、という方へ頭が働く。これまでの大人のそういう習慣を、果して観衆の全部が自分のこととして反省するところまで行っているだろうか。
切り抜き絵の插話が、一插話として軽く扱われたから、自然保育所での光景と家で母親が着物をひろげて見せる場面との間の脈絡に特別な注意が払われることがなかったわけでもある。
「保姆」ではカメラがつつましい洋服屋さんの仕事台のまわりや
前へ
次へ
全7ページ中4ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング