面目な芸術性をもゆたかにしていると感じた。
一つ二つの場面をのぞいただけで全部が保育所の一日からのスケッチで制作されているということも独特な活々した味を与えているのだが、私ひとりの感じでいうと、或る箇所ではもう少しその対象にカメラが粘って観せてくれたら、さぞその面白さに堪能するだろうと感じられたようなところがいくつかあった。例えば小さい子供たちが、初めて提灯の切りぬきを習っているところ。一人のくりくり頭の男の子が、一心不乱に口を尖らせて切りぬきをやりはじめる。それを見ている私たちは、思わず自分たちまで口をとんがらしながら笑いを湛えて観ているのだが、子供の作業としてもまだそれが終りにも近づかないうち、従って、私たちの親愛な笑いや罪なさにかえったような心持が自然のリズムで推移しはじめるより早く、カメラはその対象から離れてしまう。呼び醒まされた一定の感興はそのために中絶され、何となし物足りなさが残される。感傷的に一つ一つの子供の顔の面白さに足をとられてゆくことは不必要だろうけれど、その瞬間の対象とそれをみるものの感情とがもとめるだけのゆとりは計量されなければならないのではないかしら。もっと
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