白銀のうろこのかがやいた時女人魚の体はもう波とすれすれのところ頭とか美くしいかおはあたたかい日の光にまばゆいほどかがやいて居ました。スーッスーッと渚近くよってその大きな岩のかげに身をひそめて人の群の高いさざめきやかすかなきぬずれの音をきいて居ました。恋によったようにうっとりと魂をうばわれたようにボンヤリとしてその様を見ほれて居ました。高らかに笑う女の声も今まできいたことのないものでしたし、うすい衣の裾のヒラヒラ胡蝶の様になるのも今までは見たことのないものでした。女人魚は美くしさに、うらやましさにその女達の動くように自分も身をもみながらどうぞして人間の仲間に入れるようにとねがって居ました。今まで光線のよわい海の底の中でうす絹ではりつめたように育って来たこの女人魚のはだにはあらわな強い日光はあんまりまぼしすぎ、つよすぎました。女人魚の心は段々ボーッとそして甘い気持になりました。その強い日の光はとうとう海の美しいたとえない花をしぼませてしまいました。
 大きな岩によってうっとりと、見ほれききほれて居るように美くしいしなやかな姿をした女人魚にはもうよんでこたえる魂と云うものがありませんでした。美くしい薄命な海の花はしずかに音もなく散ってしまいました。

     運命の車

 いくら大きな目をあけて見ても見えきれないような大きな一つの車の輪がある。その輪のはじからは大きな恐ろしげなつめたいかぎが出て居る。その中心からつづいた棒を一人の女がにぎって自分の勝手の様にまわして居る。その車はまわるごとに地球の上に住んで居る人間の頭の上を一度ずつきっとかすって行く。そのたんびに人間は知らず知らずに一人ずつぶらさげられて行く、或る時はしずかに順々に引く所から高い所にあげてそしていつまでもそこに手をとめていきなり大変な勢で地面にたたきつけたり又或る時は急に高く急に低くしてもう少しで落ちそうにしてもまだおとさずにまた高くあげて低い所までもって来てソーと地面におく、その車の動くたんびに人間は富んだり貧しかったりして青くなったり赤くなったりして居る。そうしてさんざん動したあげく人間は段々やせてしまいには骨とかわ許りになってしまう。そうすると運命の握権者は「ようやっとこれで一人かたづいた。又このあとがある」と云って車をまわす。

     逢魔ヶ時

 逢魔ヶ時のうすあかりの都大路を若い男女、老いた男、幼い児共、みなせわしそうに西から東東から西に走って行くようにあるいて行く。逢魔ヶ時は今、若い女のかげにも老いた男の身にも一つずつの悪魔はうすいかげと一所について居る。耳の長い目の丸い体のほそい尾の長い魔は一人一人がすれちがう時にきっとその袂や裾や帯の間から一寸頭を出しておたがいに顔を見合せて人にはきかれない小さな声で「私はこれからこの若い美しい女をだんだんとおそろしい崖に近づけてそしてそこでポンとつきはなしてやらなければならない」とか「この立派な青年を金銭のためにうんとくるしめてそして自分で早く身を終る様にするのが私のつとめだ」等と云い合ってやがてヒヒヒヒと黄色な歯を出して笑いながらその人のあとをついて行く。つかれて居る人は一向そんな事には気をとめないで只気ぜわしく落つかないで歩いて居る。やがて時も段々にすぎて月の光が少し仄に出て来ると魔どもは小さい尾を背にまいて「今日の逢魔ヶ時はもうすんだまたあした」と云ってその帯なんかの間からそっとぬけ出して街のくぼちをおっかけっこをして居るように走る落葉等に交ってカサコソと変な音を立てて町をころがりぬけ又町を通りぬけして森の洞の住家にかえってしまう。そしてその恐しげな口で「又あしたまたあした」と云って居る。世の中の人達は何もしらないで只あせって居る。



底本:「宮本百合子全集 第二十八巻」新日本出版社
   1981(昭和56)年11月25日初版発行
   1986(昭和61)年3月20日第6刷発行
※底本の解題には、「「平家物語」を典拠にしているものは「義王」までの六編である。」との記述があります。
※「*」は注釈記号です。底本では、直前の文字の右横に、ルビのように付きます。
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:柴田卓治
校正:土屋隆
2009年4月29日作成
青空文庫作成ファイル:
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