入りになるのであろう」とかなしく思って「今度一の谷で討死をなされた御方の北の方の御歎はどなたも同じでございます。けれ共皆様は御様を化えさせられてしまいました。六道四生の道は別々でございますもの、貴女様もどの道へか行らっしゃって上様と同じ道を行らっしゃるのはむずかしゅうございましょう。それに又、身重の人の死んだのは殊に罪深いときいて居ります。身々とも御なりになったのち幼き御子様を御育になって亡い人の形見と御らんなってまだそれでも御心がいがなかったら此のみの様をかえ亡い人の御菩提を御ともらいなさいませ。たとえ千尋の海の底におしずみになるのでも私をつれておいで下さいまし――」と様々に悲しみなげいたので北の方はそのように云われて悪かったと思われたと見えて「ほんとうはそんな気はないけれ共あんまり思がつもったのでつい、云ったので何にもそんなに驚いたり泣いたりする事はありませんよサア、夜もふけた様だからねましょう」とおっしゃると乳母の女房はうれしがって北の方のわきにねてしばらくまどろんだと思う頃北の方は起きなおって舷へ出られた。漫々とはてしない水の上だからどこを西とはわからないけれ共月の入りかけて居る山の端をその方がくだろうと思って静かに念仏をなさると沖の白砂に友にまようたと見えて千鳥がしきりになく。海の面をすべってきこえて来る、かじ取りの音やエイヤエイヤとするかけ声のかすかにきこえて来るのも一しお哀をそえて居る。「南無西方、極楽世界の教主みだ如来、あきもあかれもせぬ内に別れてしまったいもせの習い、私もまた歩みますどうぞ来世では一つはち[#「はち」に「(ママ)」の注記]の上に」とかきくどきながら「南無」の一声と一所に波の底に入ってしまわれた。哀な事である。二月の十三日一の谷から八島へ渡るあかつき近い時のことであったので誰もこの出来事を知らなかったけれ共並びの舟に一人のかじ取りが舟をこいで居たのが之を見つけて「アアお可哀そうに、なんと浅間しい事だろう。あの御舟に乗って居らっしゃった女房の只った今海にお入りになってしまったのはマア」と大きな声で云ったのを乳母の女房がききつけて、そばをさぐって見るといらっしゃらない。「アレアレ大変大変」と叫び出したので人々がみな起きて来て舟をとめて水夫を海に入れてさがさせたけれども見つからない。それでなくっても春の夜はかすむ習いなので四方の村立つ雲がフワフワと浮かれて来て月の光をかくす夜半なのでまた、阿波の鳴戸のしらせで満汐引く汐が早いのでまして御着物も波と同じに白いのでさがしてもさがしても見つからなかったけれ共、しばらく立ってからようやくかつぎあげて見ると練色の二つぎぬに白い袴をきていらっしゃる。髪も袴もしお水にぬれてベトベトになってせっかく取りあげたけれ共もう甲斐がない。乳人の女房はもうつめたくなった御手にすがりついて「マア、何と云う浅間しい事を遊ばしたのでしょう。私はまだ貴女様が御乳の中に居らっしゃる時分からお育て申してこのかた今日まで片時もはなれず、都に出でになる時でさえ年を取った親をふりすててまでここへ御供申したのになぜこの様なうきめを御みせになるのでございましょう。たとえ因ねんでございましょうとももう一度丈生のある御声を、昔の御姿を今一度お見せ下さいませ。マア、ほんとうになんて云う」と云っていろいろに歎いたけれ共甲斐がなく、少しかよって居た息もたえてとうとう死んでしまわれた。こうして居てもしようがないから、故三位の君のきせながが一領のこって居たのでそれにおしまとめて又海へかえしてしまった。乳人は「私も」と一所に飛び込もうとしたのを人々にとめられて船底にたおれて歎いて居たけれども自分から髪をきって三位の弟の中納言の律師忠快に頭をそっていただいて泣きながら戒をたもって居た。男に別れた女の様をかえるのはありふれたあたり前の事だけれ共身を投げるまでした事は例の少い事である。忠臣は二君に仕ず、貞女両夫にまみえずと云ったのもこのような事を云ったのであろう。此の北の方と云うのは故藤の刑部卿教賢の御女で上西門院に宮仕えして小宰相殿と申して居た。それをまだこの頃中宮の亮《スケ》であった越前の三位通盛が此の女房を一目見て歌をよみ、文をつくして長い年月恋をなして居られたけれ共なびく様子もなかったので三位が三年目と云う時に今度をかぎりにと文を書いて年頃取りつたえて居た女房に賜って「どうぞ此を彼の君に」とたのまれたので御所へもって行くと丁度その時小宰相殿が里から参内なさる道で行きあったので御車のそばを走りすぎる様な様子をして其の文を車の内へなげ入れて行ってしまった。小宰相殿は「今此の手紙を車の内になげ込んだのはどんな人でしたか」と御たずねになったけれ共、お供をして居たものがみんな知りませんと云ったので車の内において置くのもはず
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