うことについても。
私は今に、何だか命がけで誰かを恋しはしまいかと云うことを大変に予感して居る。その心持は恐れと、歓喜との混ったもので、苦しい。今まで、多くあった自分の恋。皆失望して、自分からすてて、進もうとする足の下に踏みにじってしまった恋の多くは、何だか、これから来るほんとうの大きな、自分の命とかけがえになるほどの大きな愛の先駆ではあるまいかと思われる。自分はMに pity を感じ、Kには、かなり尊敬の混った愛情を感じて居る。Kに対して、自分の心は、殆ど恋と云ってもいい位のものになって居る。けれども、それを発表することは、絶対に自分自身に禁じる。何故ならば、やがてもう一二年も立つと、今までの多くと同様ふまれるべきものとなってしまうことが、自分に分って居るからである。
自分の足の下にふまえるには残[#「残」に「ママ」の注記]しい尊さが彼の中にはある。
其故自分は、彼に対して友達であろうと努めるのである。
それがいいのだ。彼と面を合わせて居るとき、自分はどの位、落付いて居られるかと云うことを考えると、自分だけの裡に感じて居る苦痛などは、要するに自分自身の生長の力と異わない。ジイッとして、ジリジリと行くのだ。そこに道がある。光明がある。私自身のほんとうの生が輝く。
○真に自分と合一|致《な》し得た者を得たと云う点に於て、自分は、罪と罰の、ロージャを羨む。
○自分は多くのものを愛して居る。が恋は出来ない。私の道徳的な考えを滅茶滅茶にする丈、強い力はどこにも見つかりそうにもない。それは、自分の恋せない心持の理由を知って居ることは賢いことである。たしかに賢い。が、うれしくはない。否寧ろ、哀れむべきとも云える。人生! 人生?
○イベットを読み、死の如く強しを読む。二者の間のまるで違った感じは、単に訳者の相違からのみ起って来て居るのでないことは、よく分って居る。けれども、その訳の仕振りは、いかにも、訳者二人の箇人性をあらわして居る。
○ジイッと座って居る。うす黒くなった障子を通し、ガラス戸、塀を通して、かすかながら動いて居る外の世界の響が聞えて来る。乾いた道を行く風の音、梢の音。雀のチクチクなく声が、寒い戸外に幾分あたたかい感じを与えて居る。周囲は非常に静かである。が、心は落付かない。何もしないで斯うやって、お客になって居なければならないことは辛い。
○三月二十四日。
生ける屍と闇の力を読む。
又訳に関して感じたのだけれども、闇の力の方は、あれをあのまま芝居にしていい丈訳が洗練されて居るが、生ける屍の方は殆どひどい位だ。何だか、少し無責任だと云う心持もする。若しあの訳言をあのまま頭に入れて仕舞って、生ける屍とは斯う云うものだと云う者が一人でもあったら、それは佐藤氏の罪だ。
○闇の力の、代用の場面のついて居るところは、矢張り、代りにとしてついて居る方が、舞台にかけたらよかろうと思う。ニキタが、赤子を押しころすところを、第一のようにされては、殆ど見て居るに堪えない。ニキタの苦しみ、どうにもならなかった彼の苦しみを、体験するのには、あれを見なければなるまい。けれども、第二のナンを用ってあらわしてある方が、もう少し私には安心な心持がし、又日本の目下の警察ではあれを許しはすまい。
ト翁が、代りに用っていいとして第二の方を書いて置いて下すったことを感謝する。
○雨がひどく降って居る故か、右の手の先の方にリョーマチがついた。手が利かなくなったら困るがなどと思う。小野川の温泉へでも行って見ようか。少しひどく痛いのでいやだ。
○人間がひまだと、ろくなことをしないと云うのはほんとうだ。
孔子が、小人閑居して不善を為す と云ったのは、流石《さすが》に孔子様だ。今私は、自分で困るほどひまだ。否、強いてひまにさせられて居る。何かしなければならないと、心に思って居ても、現在することがないと、下らないことを思う。彼の(郡山へ来るときのって居た水兵の)言葉ではないが、雑念が起って来る。
その雑念の起って来ることは、小人の所以であろうが、又自分には、尊いところであろうとも思う。
○外は真暗である。何の物の形も見えない。只折々とんで来る火の粉が、うるしをといたような闇の中に非常に美くしくやさしく輝く。何かの光、色にうえて居る心は、その群をなしてとんで来る光が目に入ると、瞬間心がかるくうれしくなって来る。けれども、それが消えると、又元のような旅愁が彼女の心に入って来る。
○汽車が動いて居るのだと云うことを証挙だてる、どんなささいなものもくらいそとには見えない。其故ときによって、心持の持ちようによると、列車はまるで前へは進まずに、一つところで上下にガタガタゆれたり、吼[#「吼」に「ママ」の注記]ったりしてあばれて居るように
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