認められる。日本では、馬琴流の、封建的な道徳観に対する反撥と同時に、フランスがその近代思想史の中の最も重要な一時代として通って来た十八世紀の啓蒙時代を経ていないために、日本に流れ入った自然主義は、社会の諸現象に対する科学的分析への多極な方向へ拡大せず、男女関係の狭い範囲での露骨な性的描写に局限された文学のように当時にあっても考えられた。現実から学んで芸術を創造すべきことを主張した所謂写生文派の人々、子規、虚子、漱石、或は直接この流派に属したのではなかったが、森鴎外のような優秀な芸術的資質をもった作家まで、等しく自然主義文学の運動に対して必しも同感的でなかったことはまことに注目をひく事実である。しかも、同時代のインテリゲンツィアの社会的所属という面から見ると、写生文派の人々は主として当時の中流或は上流のアカデミックな教養をもった人々があつまり、自然主義文学は早稲田の文科を中心として、地方の中農などの家庭出身の人々が多かった。そのことも興味ぶかいことであると思う。

 長塚節は、写生文派、写実派の中でも、実に手堅い一方の作家で「土」と略《ほぼ》同じ頃書かれている虚子の有名な「風流懺法」等と比べると農村生活に深い根をもつ節独特の稟質がうかがわれるのである。
 写生文派は写実主義文学にうつり、今日現実を更にその有機的諸関係につき入って描こうとする現実主義が問題となって来ている。
 長塚節の「土」は農民作家とその課題としてのリアリズムというものが問題となる以前の写実的作品としての傑作なのである。[#地付き]〔一九三八年一月〕



底本:「宮本百合子全集 第十一巻」新日本出版社
   1980(昭和55)年1月20日初版発行
   1986(昭和61)年3月20日第5刷発行
初出:「会館芸術」
   1938(昭和13)年1月号
入力:柴田卓治
校正:米田進
2003年2月17日作成
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