いる。わたしの最大の能力をもって、そのひとつらなりの文学作品の世界をみんなのものとして実在させてみる責任があると思っている。しかし同時に、わたしには、どのようなブルジョア文学者も知らないような一つの信頼感がある。その信頼感は、自分の文学上の力量に関するものなどではなくて、われわれがどのように生きつつあるかという日々の現実、そのいまはまだ語られざる真実についての信頼感である。これを逆にいうと、いくらかおかしいことにもなって、たとえわたしは、この長篇をへた[#「へた」に傍点]に書くかもしれないけれども、人間・文学者としていかに生きるかという点で、作品を生きこしている現実が自身の良心に確認されているなら、作品はそのような歴史の中でおのずからうけるべき生命があるという信頼である。わたしたちの立場にある文学者の人生と文学とは、生きつ、生きられつの関係にしかあり得ない。人間の事実としてみても、常に、いかに作品がつくられるかというよりも先に、いかに生きつつあるかが問題である。自分が生きつつある歴史の地点のどの位手近いところまで作品をひっぱりあげることができるか。それが力量というものであろう。そして、
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