、朝鮮、ヴェトナム、これらの民族は、それぞれ近代帝国主義の発展とともに、屈辱と辛苦とをなめつくして、ついに新しい人民の運命の戸口を開いた。その経験から、人間関係方面の何かの成果がひきのばされないはずがない。アメリカの大審院判事W・O・ダグラスというひとがニューヨークのある晩餐会で話したという言葉がつたえられている。「いまや世界の各地には、かつてアメリカでおこなわれたと同じような革命が進行しつつある。大切なのはこれにたいする管理と指導である。将来この時代を記すにあたって、アメリカが反動、暴政、圧迫によってこの闘争を弾圧したということになれば、これは恥ずべきことになるだろう」「もしアメリカ国民が、他の国家の人民にたいするスポークスマンの役目を軍人に許すならば、それは現代の大悲劇となるであろう」と。
 現代まで科学の成果が集積されて来た跡をかえりみれば、ギリシア時代からオッペンハイマーの業績に到るまで、ただ一つの発見、一つの実験の成果でも洩れなくあつめられている。それだのに、日本においても他の資本主義国においても人間関係方面での実験とその成果とは、それが二百年も三百年もたって古びてしまわないうちは、平静にうけ入れ研究してみようとはされないのは何故だろうか。サン・シモンという名をきいても顔をこわばらせない人々が、会話の中に毛沢東とかスターリンという名が出ると、それが悪口でない限り、髪の毛をさかだてる権利があるように誤解しているのは何故だろうか。
 次の事実がその理由を説明する。アメリカの人民は、一九五一年度は益々増大する軍事費を負担しなければならない。だが、より窮屈に暮さなければならないのは一般の人民で、巨大なコンツェルンの利潤は一九五〇年六月以後の三ヵ月だけで、前年の第三、四半期に比べて五四%増加したそうである。(ナショナル・シティー・バンク・ビュレッテン)
 商業会議所の機関紙『ネイションズ・ビジネス』は十二月号で次の意味を記した。もしアメリカがソヴェト同盟の平和提案をうけいれるなら、会社の高利潤は終りになるだろう、と。
 われわれは、人間が理性ある者であることを信じるかぎり、人間が人間と生きるためには、平和が必要だという明白な真実を表白しつづけなければならない。[#地付き]〔一九五一年三月〕



底本:「宮本百合子全集 第十六巻」新日本出版社
   1980(昭和5
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