「伸子」について
宮本百合子

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)内輪《ないりん》

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)[#地付き]〔一九三七年五月〕
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 長篇「伸子」を書いたのは今から十年ばかり前のことで、完成までに三年位の時間がかかりました。『改造』へ一年に四度位の割で四五十枚から二百枚位まで時々載せてゆき、単行本にする時に全篇すっかり手を入れて大部ちぢめました。
 当時はもう蔵原惟人の芸術論等が雑誌に出始めて居り、プロレタリア文学運動がそろそろ緒につきはじめていた頃でしたが、私は全くそういう方面には接触がなく、世田谷の駒沢の家で、毎日五枚位ずつこの小説を書いていました。
 余談になりますが、この駒沢の家へ移ったのは、もう「伸子」を書きはじめていた私が、その最初の春に、それまで住んでいた小石川の家の二階の階子段から下まで辷り落ちてひどく体を打って耳鳴りがするようになったので、それではしばらく郊外に住んだ方がよかろうと駒沢に移ったのでした。その大家が本庄という軍人で、その人は満州に行っており、細君がしっかり者で借家の監督をやっている。その人から借りたわけでしたが、当時はぼんやりしていたが、満州事件が起ってから新聞で見ると、かつて大家であった本庄という軍人は、外ならぬ関東軍指令官の本庄大将であるのが分って、ほほう、というような訳でした。
 この小説は題が示す通り、一人の若いインテリゲンツィアの女が、人間的な生活を求めて或る一人の男と結婚をしたが、その結婚生活がその女の求めていたような理解の上に営むことが出来ないため、女も男も苦しみ、女が主動的にそれを破壊するに至った過程を描いたものでありました。「伸子」という主人公の立場から凡ての周囲の人間関係を描いて居り、作者はこの小説で、世間で、愛情と呼ばれて通用している男女の間の感情でも、それが人間的に互を高めるものでなければ、そういう大局的な見通しと叡智とを持ったものでなければ本質的な愛とは言えないこと。そのような愛でない愛を、愛として夫婦生活の上に押しつけ、当人もそれに納っているような社会の卑俗な常識に抗議をしている。一人の女のそういう経験は、その女が広い人間的生活への要求から経験されている以上、社会的な意味と内容とを持つ性質のものであるという確信が、当時の作者の
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