にした。
護国寺の紅葉や銀杏の黄色い葉が飽和した秋の末の色を湛えるようになった。或日、交叉点よりの本屋によった。丁度、仕入れして来たばかりの主人が、しきりに、いろんな本を帳場に坐っている粋なおかみさんにしまわせている。
「こんなのもいい本だが、何しろこう少なくちゃ仕様がない」
主人は、本やというよりもむしろ呉服屋の年功経た番頭というような云いかたで、新刊本の棚の前に、一冊の本を半分投げてよこした。十八年度最終の出版整備が公表されて程なくのことである。
今日の本やの気分というものを犇《ひし》と感じつつ見ると「青眉抄」上村松園とある。
「おや、珍しい本だこと」
「さすがに装幀もようござんすね」
そう云ったきり一冊しか出さないのである。
純綿ものでも出されたような工合で、その一冊を買った。
日本画家の芸術家としての内部生活の限界とでもいうようなものにふれて、様々の読後感に打たれた。
一かどの芸術家は、男女によらずだれしも或る強情さ、一途さ、意志のつよさ、人生への負けじ魂をもっている。それは人間的な素地として、其々の専門部門への特別な天稟とともに備えている。其々の時代の制約と闘
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