「青眉抄」について
宮本百合子

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)犇《ひし》と
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 この秋(昭和十八年)文展と殆ど同時に関西美術展というのが開催された。
 病気からすっかり丈夫にならないので、明治大正美術展も見られなかったし、このときも行かれず、残念に思った。新聞に代表的な作品の写真がのったなかに、上村松園の作品があり、その新鮮さ、たっぷりさに目のなかが涼しくなるようないい印象をうけた。夏の日に張りものをしている妻の絵で、はり板の横に腰をおとしてしゃがんでいる女の体のたっぷりしたすこやかな肉置き、手に入った仕事に働いているときの女の闊達な表情、単純で美しい服装、いずれも非常に美しかった。やっぱり美人画らしく白い顔や腕でも、それは些も繊弱でなく貴族的でなく、丈夫なまめな快活な笑声、愛嬌ある心の照りが、こまやかな肌のきめに匂っているという風なこのもしさであった。はりきった厚さと暖さとがある美しさであった。
 六十何歳かに達した年で、このように精気のある絵をかく女性の粘りというものに、感服し、よろこびを感じたのであった。実物を見られなくて惜しいという気が切
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