だろう。下山氏の死亡、その人間としての立場から同情的にあつかった記事は、一日ぐらいしか出なかった。日本の政府は権力に忠実な人格者英雄をつくることがさきであり、美談ずきなのに、下山氏の事件は、犯罪的な疑惑へと一般の関心を導くことに専念されている。どういう事件であるにしろ、本質は、政府の首きり政策が原因である、と死のモメントから人々の注意がそらされつづけている。これはなぜだろう。下山事件がおこると早速「非常事態宣言」の用意があると首相が声明し、それをのせたのは読売新聞であり、他新聞は、自殺説・他殺説それぞれの客観的根拠を語っているが、読売の記事は一貫して犯罪性を濃く表現し、しかもそれを何のよりどころもないのに共産党、組合と結びつけている傾向が露骨である。日ごろ進歩的な意見をもっている作家である豊島与志雄、新居格氏などからさえ、この新聞はまるで共産党系統のだれかが暴力的行為を仕組みでもしたような話をひき出している。田中耕太郎氏の談話などは、事件が明瞭にされたときには、共産党に対するその発言の社会的責任をとわれてしかるべき性格のものである。
 一九三三年二月二十七日、政権をとって一ヵ月のナチス
前へ 次へ
全6ページ中3ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング