壁をのばしている。
「郵便」と書いた板の出ている小さい入口をわれわれは入って行った。ここに、鎌と鎚工場の工場新聞の発行所がある。そして、文学研究会の中心になっているのだ。
 工場内へ通じる狭い柵の横に一人赤衛兵と、二三人の男がかたまっている。そこは一本の廊下だがその辺には工場委員会|共産党青年《コムソモーリスカヤ》ヤチェイカの札が見えるだけで、どこに新聞発行所があるかわからない。
 自分は、柵のところに立ってる男に、「新聞発行所はどの室ですか、」と訊いた。
「つき当って、右に折れたところだよ」
「そっちへ行って見たが、ありませんよ」
 赤衛兵と、引越したのか? そうじゃあるめえなどと云い合った後、その男は云った。
「じゃ、左の第一番目の戸をあけて見なさい」
 外からの気勢《けはい》では到って静かだ。ソーッとあけて見た。いる! いる!
 つき当りの壁から左へ鍵のてに卓子が並んで、真中に赤い鼻の丸まっちい「ラップ」の作家タラソフ・ロディオーノフが、鳥打帽かぶって、黄色っぽいレイン・コートをひっかけたまま坐っている。
 二十人ばかりの職場からの若い連中が集っているのだが、椅子が人数《ひとかず》だけない。山羊皮の半外套を着た若い労働者が三四人、床の上でじかに膝を抱え、むき出しな板の羽目へよっかかっている。
 四十がらみの、ルバーシカの上へ黒い上衣を着た男が立って報告しているところだ。
「タワーリシチ! われわれは工場新聞と各職場の壁新聞を動員して、少くとも九百人の文学衝撃隊《リト・ウダールニク》が集められるだろうと思う。
 どんなことがあっても、それより少いことが、あっちゃならない。
 われわれは、生産経済計画を百パーセントに充すとともに、文化戦線を閑却してはいけない。九千人の労働者から九百人の文学衝撃隊は、ちっとも多くないんだ。寧ろ少い!」
 カサのない電球が天井から二箇所にぶら下って室内を照している。緊張した空気だ。
「職場における文学委員たちの任務は」
 直ぐタラソフ・ロディオーノフが、党員らしいきっぱりした口調で坐ったまま始めた。
「これまでみたいに、自分一人手帖をゴチャゴチャ書きよごすことにはないんだ。タワーリシチ! 一般の自発力《イニチアチーブ》をひき出すことだ。壁新聞を、発行者たちの独専にしてはいけない。壁新聞を通じ、工場新聞を通じて、一般大衆の日常の闘争を、生産経済計画《プロフィンプラン》完成への闘争をとりあげて行かなけりゃいけないんだ!」
 いいところへ来合わせた。
「鎌と鎚」工場の文学研究会が、新経済年度のはじまりといっしょに、再組織されようとしているところだ。
 七月の共産党大会後、ロシア・プロレタリア作家連盟は、一つの自己批判として、文学研究会指導方針を改めた。
 革命以来、各工場、クラブ内の文学研究会は共産党青年《コムソモール》の中から多く有望な作家を送り出した。その点大きい役割を果しつつあるが一方、段々、所謂文学趣味に堕す傾向があった。
 文学研究会へ出て来る青年たちは、むろん職場の連中だ。彼等は職場にいるときは、生産経済計画《プロフィンプラン》について熱心に討論し、職場内の反動分子と争闘しながら、いよいよ七時間の労働を終って、文学研究会の椅子へ坐ると、もう別な彼になってしまう。
 所謂文学青年になって、互の書く作品だけを、互の程度の低い標準で批評し合っていい気持になっていたり、機械に向って働き、社会主義社会建設につとめる俺達を妙な作家気どりで、客観して描写したり――気分の上で文学研究会は実生活と遊離する危険にさらされていたのだ。
 ところで、ソヴェトの生産拡張五箇年計画の実施は、ソヴェトのプロレタリア作家たちに何を教えたろうか?
 工場見学隊を組織し、集団農場視察団を組織して、生産の場所に在る大衆の中へ進出したソヴェト・プロレタリア作家たちは発見した。本当に、唯物弁証主義的手法――プロレタリア・リアリズムを獲得するために、芸術は、どこまでも生産の場所になければならない、と。
 五箇年計画による生産手段の変化がドシドシ大衆の社会的心理を変えてゆくその社会的心理を把握するために、作家は生産の場所をはなれて、活きた人間を描くことは出来ないのだ。
 文学研究会の青年たちは、もう技術的に或る程度まで完成したプロレタリア作家たちの持っている、このすき間を、生産と文学との間に持たない地位にある。
 折角そういう位置にありながら、専門作家が清算しようと努力している欠点から発足するというようなことがあっていいものか!
 現在、ソヴェト同盟の全社会生活は、生産経済計画《プロフィンプラン》が根柢となって動いている。文学だけが、それについて無関係だなどということはあり得ない。
 各文学研究会は、狭い、睡いディレッタンチズムからと
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