務につくせる。
女の幸福、子供の幸福のためには、例えば到るところに託児所がある。幼稚園がある。無料でごくヤスい金であずかってくれる。
大本教の兄さんが云われるように、何も女は子供のギセイとなんかならず。子供も母ももろともにのびのび生きて、正しく働けるようになる。
お互にそういう世の中にこの世をしたいからこそ、そして、それはプロレタリア、農民の社会にならなければ出来っこないからこそ、めいめいがめいめいの職務で身に応じた根づよい働きで、その日を早く来させようと闘っているのです。
わたし達は、たとえたった一つのことでも正しいことを知ったら、きっとそれを自分のまわりの何人かに分らせて行くような努力を、いつも忘れてはならないと思います。
自分ばかりが多勢の中で物が分っていたって何もなりはしないし、実際のことは出来もしません。
あなたが、これらのことをこまごまと親切に話し、なるほど道理はそうかもしれないが、俺は許さん! と良人の方がガン張れば、それはその時だと思います。
あなたが、自分は解放運動のために働くしか生きるに道がないと信じ、良人の考えは変らず、離婚するしかないと分れば嫁入り前の妹のことを気に病むなどということもないでしょう。
夫婦は、つまり同志でなければ、われわれの場合うまく、力を揃えてやって行けるものではありません。
二人の子供を、自分の腕で食わせる覚悟をしてその方法を見つけるか、また良人が、そんな女に子供は渡せんと子供をあなたからとってしまったとしても、覚悟は一つであろうと思います。
あなたの毎日の生活は工場やその外の職場で働いている労働婦人の生活とはちがい、本でよんで勉強し、争うといっても家庭の中で良人と理屈からはじまっての争いをやるので、この五銭をキリ下げられて俺達は食って行けるか! と資本家につめよる必死なプロレタリア、農民の争いとは、良人の方にしろあなたにしろ、腰の据わり工合がちがいます。
暮しのユトリは考えのユトリをも与えているのです。然し、暮しのユトリと云ったところで、中流家庭の小さい安定などというものは今日ドシドシ崩れ、プロレタリアの陣営に加わって来ている。
女が女として幸福に暮らそうと本気で願えば、本当に婦人を解放し、母となる権利も同時に十分認めて保護してくれるプロレタリア、農民の世の中にしたいと努力せずにはいられない。
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