、亀戸辺の私娼窟に出入することを書いたものである。
古典的筆致と現代私娼窟の女・情景とを荷風一流のデガ[#「ガ」はママ]ダンスに統一して描かれていたこの作品についての感想はここでは触れないとして、ラジオをいやがって逃げ出すところから何百枚かの小説をかかせ得る日本のラジオというものの性質が、なかなか只見て過るというわけに行かないのである。
荷風の場合は、一つの異例であるとしても、ラジオが好き、と積極的に云い得る人は、全住民の果して何割を占めるであろうか。日本の家屋の構造は、全く夏など家そのものを反響箱として響きわたるのであるから、生憎ラジオを終りまでかけている家の隣りにでも住み合わしたら、大抵の者は閉口する。
西洋の習慣と云えばその一つとして、ダンスが数えられるが、ダンスぎらいで一生通す人もいる。ラジオぎらいも世界的現象としてあり得るのである。しかし、日本のラジオのプログラムの所謂《いわゆる》修養・娯楽の部に対して一部の聴取者が常に感じている水準の低さに対する不満の如き不満が、やはり世界的な現象なのであろうか。一方、その中でラジオが好きと迄云い切れる人が殆どないであろうのに、日本の
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