織経営の優秀性は」「世界各国の放送事業中最も公益的色彩を濃厚にするものであり、従ってその具体的表現としてのプログラムも特異の存在を示している。我が番組編成の指導方針は事業創始当初より一貫して神ながらの我が国民精神の涵養を基調とし日本文化の普遍と向上を期するにあるのは云う迄もない所である」とされている。指導方針によって放送審議会がこの大綱を定め、中継番組は放送編成会が働き、ローカル番組は各地の放送局長が具体化するという仕組みになっているのである。
こういう手順で我々の聴くラジオは目下一日平均一四時〇九分間放送されているのである。プログラムは年々変遷して、昭和十年以後は子供の時間と慰安が漸減し、頓《とみ》に報道と教養とが増して来ている点が注目される。報道は図表によって見ると、その五三%までが放送局編輯である。子供の時間ではその七二%、音楽七七%、実況七四%、演芸八一%、学校八三%まで中継放送であるが。――
ラジオと報道の機能とは実に密接なのであり、世界文化の水準もラジオによって明かに高められた。今日私たちの住む地球の上は毎秒三〇万粁の速度で、昼夜を分たず世界各国語による交通が電波によって飛び交っているのであるが、最も興味あるべきこの世界ニュースの聴取が日本では極めて狭い範囲に止められているのはどういう理由からであろう。日本の民間のラジオ機は短波を受けられないことになっている。短波こそ、今日の電波の世界の尖端の活動をしているのである。
ラジオ・サービスとして移動ラジオ相談所を設けたり、明朗聴取運動をおこしたり、様々の点で聴取者の便宜は考えられている。そういう細部での便宜があればある程、聴取者の心持に、こういう調子で短波も受けて、アメリカやフランスの国際放送を聴いて見たいという希望の生じるのも亦、自然なことではあるまいか。
毎日のプログラムの内容、又講演、修養講座の内容等について、文化的な面から見れば、今日の『キング』、『日の出』の内容に対しておのずから発する感想が屡々《しばしば》誘発されざるを得ない。大衆の要求に沿うた内容ということは、いずれの場合でも決して、現代の民衆生活の一番低い部分の水準に迎合して、そこ迄引き下げ止めておくということではない。ましてや、日常生活から生じる疑問を特定の傾向の中へそらして流して行くことでは決してないのである。
日本におけるラジオ
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