ことも何か納得出来る気がする。重工業の大工場は今更ラジオとさわぎはしないのであるし、景気の煽りで夜業しているような民間小工場では、ラジオをきいている暇もない、であろうから。
こういう細かい生活の実況であるにもかかわらず、総体としてラジオが益々大勢にきかれるようになって来ることには、一方で、出版物の高騰、書籍購買力の低下と伴い、一方では確に放送局で着眼しているとおりニュース価値の増大にあるだろうと思う。
極めて最近、特別ニュース放送が日に何回かされるような事情のもとにあっては特にそうであるが、それでなくても昭和七年頃から百万を突破してラジオ黄金時代に入ったというところに、大衆の社会的関心の全く独特な性格、方向が語られているのである。満州事件の起されたのは昭和六年の秋であった。七年には歴史的な血盟団の事件、五・一五事件もあり、日本には所謂非常時という空気が着々濃厚になって来た。それにつれて、ラジオ加入は増大し、「最初の百万に達するには七年十ヵ月を要したにかかわらず、次の百万増加には三年一ヵ月、更に次の百万増加には僅かに二年二ヵ月を要する結果になり、洵《まこと》に驚異すべき好成績を示している。」この好成績によって、放送局は今日では一ヵ月略一億四千万円ばかりの収入を得ている次第なのである。
ところで、今日、大衆のどんな感情の色合いでラジオのニュース価値が増して来ているのであろうか。オリムピック。神風の快翔。いずれも大衆のラジオに対する親密さを増大させたに相異ない。だがオリムピックのニュース及びオリムピック東京招致前後の空気その他、微妙な或る刺戟が大衆の自然な関心に加えられていたことは争われない。生活の楽しさ、世界のひろさ、又その近さ、交誼の平安。それらの感情とは或は全然反対の不安、期待、好奇心を刺戟されることのラジオのニュース価値は増大して来ているのを見のがせないところに、深刻な今日の生活と文化との問題があると思う。
日本全国三十の放送局は中央放送局に統一されていて、番組編成の基準は、「国民文化の表現乃至は聴取者嗜好の反映として見る限りその番組は撩乱の姿を呈している」が、「放送効果の立場よりする聴衆の必然性の吟味或は社会的公正、文化的妥当の見地より指導方針の検討が加えられなければならない。」そして、官営である日本の放送事業は、個人経営のアメリカなどとは違う。「その組
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