をひくように描かれているし、みんなの知っている猿蟹合戦になぞらえ、猿は仇と昔ながらにきめて扱ってあるから、一応だれにでも訳はわかるような気がするのです。
 ところがヨクヨク気を落ちつけて見ると、この絵物語は変だ。
 そもそも遼東という握り飯を先ずとり、それを柿の種に代えられたという蟹は、日本とだけ書いてあるが、ジックリ考えれば妙な話です。日本と云っても資本家とそれに搾られている勤労階級というものがハッキリわかれてある。そのうちどっちが柿の種を貰ったのでしょうか?
 満州へ出稼ぎに行ったという人は、われわれ働く者のまわりにもあります。だが満州にいる誰かに雇われて働らかされに行ったのであって、われわれの内誰一人、南満州鉄道の大株主だというものはない。
 工場で誰の儲けのためにわれわれは、長い時間働らかされていますか。野良で、誰が懐手をして食う米をわたし達は作らされているでしょうか。
 満州という柿の種にせっせと肥しをかけ働いている蟹はわれわれに近しい百姓姿に描いてあるが、みのった収穫は誰がとるかという肝心かなめのところは絵のどこにも描かれていない。
 みなさん。ここが大切なところです。それ
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