せん。
四、真に文化上の処置として行われるならば、起訴のほかに、実際上の方法はいくらでもあります。「断乎処断する」というような意気ごみの、最初の実例とされることに抗議します。なぜなら、起訴は、実際上もうおくれた時機であって、こんどのやりかたは、「石中先生」「裸者と死者」で達せられなかった「法の威力」をしめそうとする目的に立っていることがあまり明白のように思われます。
五、権力は、さまざまの形で、威力を発揮しようとして来たことは、一昨年春ごろやかましかった猥雑なエログロ雑誌取締の時のプロセスにもあきらかでした。日本出版協会は、「出版綱領実践委員会」というものをもって、出版の質の向上を計るということでした。その時、出版綱領実践委員会は、法律を変更し、新しい法律をこしらえることを要求してでもエログロ雑誌の出版はとりしまるようにと、はげまされたようでした。新しいとりしまりの法律といえば、ワイセツ罪はもう存在しているのだから、結局公安を保つとかいう文句がつかわれることになりましょう。そうだとすれば、「公安を害する」というおそろしい言葉が犯して来た罪業の数々を、わたしたち文学者は忘れることが出来な
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