の率直な感想は、どうだろうか。抑圧されていた日本文化の急進性はこんなにも豊富であったのか、と一夜に開いた花園の絢爛さに瞠目するよりは、むしろ、反対の印象があるように思える。例えば、余り体力の強壮でない中学の中級生たちが、急に広場に出されて、一定の高さにあげられた民主主義という鉄棒に向って、出来るだけ早くとびついて置かないとまずい、という工合になって、盛にピョンピョンやりはじめたような感じがなくはない。
 ジャーナリズムの上に、この事情をあてはめると、今日の編輯者は、自身の理解や生活態度がどの程度のものかということは抜きにして、ともかく「思想性」のはっきりしたものを捉えなくてはものにならない、という現象になっているのである。
 おのずからそこに客観的な効果は在り得るのだから、それをとやかく云うには及ばない。一行でも多く、一冊でも多く、人間の独立と、よろこび多い合理性にとんだ社会生活の建設に役立つ印刷物が出なくてはならない。人民の経済生活は極めて危機に瀕しているから、もう一二ヵ月もすれば出版物に対する購買力も低減するだろうからという見越しで、すべての出版業者が、せき立ち焦っているのも、結構
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