「うどんくい」
宮本百合子
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【テキスト中に現れる記号について】
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(例)さつまいも[#「さつまいも」に傍点]も買えずにいるから、
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いろいろと材料が不足して来ている台所でも、今日の私たちは心持も体もいくらか潤う食事をこしらえてゆくことに骨おしみしてはいまい。
お米が切符になって、昨今あらゆる人々が訴えていた不安や不便はなくなるであろう。でも、お米は副食品とせよという声もきこえていて、切符で配給される米の量がその考えかたに従って計られてゆく傾きだとすると、在来の米の御飯というものへの日本人の気持は根底から変えられてゆかなければならないことともなるのだろう。
今私たちはパンも馬鈴薯もさつまいも[#「さつまいも」に傍点]も買えずにいるから、米を副食としてときくと、では主食品はどんな風に手に入れられるのだろうという、ぼんやりした当惑も感じるのである。
昔ながらの意味で米に執着する習慣は、この頃の現実で次第に変って来ているのだけれど、現在、米を副食として、という声が私たちの心によびさます反響は、新しい主食となり得るのは何で、それは何処にどんなにして在るのだろうという思いなのである。
『婦人之友』三月号が、国民食をつくり出してゆく基礎として食べもの調査を発表しているのは参考になった。工場に働いている男女、会社員、職業婦人、学生、農家、商家それぞれの献立と、今たべたいものを統計して示している。甘いものと天ぷらが食べたいものの圧倒的多数を占めている事実も、私たちの実感に通じている。
この食べもの調査は相当こまかに分類もして調べられているのだが、家庭の主婦についての調査項目がなかったのは何故だったのだろう。家庭の主婦の心労や骨折や或は無智が、職工さんのお弁当の量は多くて質の足りない組合わせを結果して来てもいるだろうし、代用食と云えばうどん[#「うどん」に傍点]で子供は食慾もなくしている始末にもなっていよう。何をたべたか、何がたべたいかという結果として出たところで調査した上は、もう一歩進めて、家庭の主婦が今痛切に何をたべさせたがっているか、何を求めているかという実状に即して統計をとって見る必要があるだろうと思えた。主婦そのものが、家族のために食べものをやりくりして自分は慢性の栄養不良に陥っていることは、何も昨
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