来の拳闘については、少しばかり心得があるんだが、君、あれは時々、とても役に立つ時があるよ。例えば今日なども、もし僕があの心得がなかったら、全くいいざまを見るところだったよ」
 一たい何が起ったのか私は更に追求した。
「僕は先に君にも云った、居酒屋を見つけて、そこへ入って、細密な調査を始めたわけさ。僕は酒売台《さけうりだい》に陣地を取ったわけだが、ところがそこの主人は大変な饒舌《おしゃべり》で、僕のききたいことは、何もかもよく喋べってくれた。ウィリアムソンと云うのは、真白な髭を蓄えた人間で、ごくわずかな使用人共と、あの廃院に住んでいるんだそうだ。彼が坊さんであったとか、またあるとかと云う噂もあるんだ。ところがその短い間の廃院生活に起った、一二の事件を見ると、どうも坊さんらしくないと思われる点があるんだがね。それで僕は宗務管理所について調べて来たんだが、これと同じ名前で、その以前の経歴がはなはだ曖昧なのが、たしかにあったと云うのだ。それからなおそこの主人の云ってくれたのには、あの廃院には、毎週の終りに、会合があるんだそうだ。「とても景気のいい人達ですよ、壇那、――」と主人は云うんだがね。そのメンバーの中で、赤髭をした、ウードレーと云うのが、最も重要な御常連だそうだ。ところがどうだろう、――こんな話をしている中《うち》に、人もあろうに件《くだん》の紳士が入って来て、酒場でビールを引っかけていたのだ。もちろんこの一切の会話をきいてしまったのだから敵わない、――「貴様は一たい何者だ?」「何を調べているんだ?」「何のためにそんなことを訊ねているんだ?」と、全く雷でも落っこって来たように、まくし立てられてしまったわけさ。いや全く実に威勢のいい文句ばかり並べられたがね、遂に彼からは手の甲で一撃見舞って来てしまったんだが、僕は不覚にもそれはしっかり受けそこなってしまった。次の二三分はとても味があったよ。滅茶打ちに打ってかかる暴漢に、左の手で見事に一突がきまったわけさ。そして僕は抜け出して、再び君に拝顔の機を得たわけ、それからウードレー紳士は、馬車で御帰宅と云うことになったのさ。こうして僕の田舎旅も終ったが、なかなか面白いには面白かったが、しかし何しろいやはや全く、このサーレーの外れの遠征だけは、君の時よりももっと、だらしのない恰好でおめおめと帰って来たわけさ、ははははははは」
 木曜日にまた、我々の依頼者から、手紙が来た。
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ホームズ先生、私がカラザースさまのところから、お暇をいただいて、帰ってしまうとおききになりましても、決してお驚きなさいませぬように、――(と彼の女は申します)あんなに高い月給でも、やはり私の現在の位置の不愉快さは、埋め合せてはくれませぬ。土曜日に私はロンドンに帰り、もうこっちには来ないつもりでございます。カラザースさまは、馬車をお買いになりましたので、あの淋しい道の危険は、たとえば御座いましたものにしろ、今はもうそれも何でもないことになってしまいました。
 私がこちらを去ることになりました理由としては、ただカラザースさまとの間が、緊迫して来たためばかりではなく、その他にもう一つ、あのいやなウードレーが、また出て来たからでございます。あの方は素々《もともと》から、凄い容子をしていますが、今度はまたもっと怖ろしい形相をしているように思われます。それに何か出来ごとでもあったのか、大変傷がついております。私は窓の外にあの人を見かけたのですが、しかし逢わずにすまされたのは、何よりの幸福でございました。何かカラザースさまと、大変長いこと、話していたようでしたが、後でカラザースさまは、ひどく昂奮していらっしゃいました。ウードレーはきっと、この近所に居るに相違ございませぬ。と申すのは、昨夜はこちらには宿《とま》りませんでしたし、それに今朝は私は、あの人が灌木の中を忍び歩いているのを見止めたのでございます。やがてはあの野蛮な怖ろしい野獣が、檻を出てのそのそとやって来るのでございましょう、――もう私は考えただけでも、身振いをするように怖ろしゅうございますわ。あのカラザースさまでも、どうしてあんな気味の悪い動物にちょっとでも御我慢のお出来になるはずがございましょう。しかししかし、もう私の煩累《わずらい》は、この土曜日で終りでございますわ。
[#ここで字下げ終わり]
「ははあ、ワトソン君、――」
 ホームズは慎重な調子で云った。
「これはあの娘さんの周囲には、何か深いたくらみがめぐらされているよ。あの娘さんの最後の帰り路を、無事に護ってやらなければならない。ワトソン君、今度の土曜日の朝は、一つ一緒に出かけて行って、この奇妙な、不得要領《ふとくようりょう》な事件を、見事に結末をつけてしまおうじゃないかね?」
 私は正直のところ
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