芸術』の頁数の都合で、いつも締切りすぎに短時間で書き、二枚五枚と工場へはこび、しかも編輯《へんしゅう》の都合で伸縮自在のうきめにあったもので、そのために一層ありのままで文飾などありません。私の生れたうまや新道、または、小伝馬町《こでんまちょう》、大伝馬《おおでんま》町、馬喰《ばくろ》町、鞍掛橋《くらかけばし》、旅籠《はたご》町などは、旧江戸|宿《しゅく》の伝馬《てんま》駅送に関係がある名です。文中にもある馬込《まごめ》氏は、江戸宿の里長馬込|勘解由《かげゆ》の家柄で、徳川氏が江戸に来たとき、駄馬人夫を率いて迎えた名望家で、下平河の宝田村――現在の丸の内――から土地替に伝馬町へ移され名主となった由緒があるのです。大伝馬町の大丸の下男が、旅籠町となったのをかなしんで、町札をはがしたことも書きましたが、旅籠町とはずっと昔にも一度つけてあった町名で、旅籠とは、馬の食を盛る籠《かご》、馬飼《うまかい》の籠から、旅人の食物を入れる器《うつわ》となり、やがて旅人の食事まかないとなり、客舎となり、駅つぎの伝馬旅舎として縁のふかい名であり、うまや新道の名も、厩《うまや》も、小伝馬町|大牢《たいろう》の御
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