「彼が這入ってった所に事務所があるんです。私と一しょにお出で下さい。出来るだけ無雑作にやっちまいましょう」
 私たちは彼について五階まで登った。すると私たちは入口の戸が半分開きかかっている部屋の前に出た。私たちの依頼人はそこでノックした。
「お這入り下さい」
 そう云う声が、部屋の中で私たちに挨拶した。そこで私たちは、ホール・ピイクロフトが話した通りな、飾りつけのしてない丸裸の部屋の中に這入っていった。たった一つしかない机の前に、私たちが通りで見た男が、自分の前に夕刊をひろげたまま坐っていた。私は、その男が私たちのほうを振りむいた時、そんなに悲しみの跡のある、と云うより悲しみ以上の何ものかの跡、――この世の人が生涯のうちにほとんど出会うことのないような恐怖の跡のあるそんな顔を、見たことはないような気がした。彼の顔は汗で輝き、頬は魚の腹のようないやな白い色をし、そして彼の両眼は野獣的で人をジロジロ眺めていた。彼は彼の事務員を、誰だか分からないかのような顔をして見詰めた。私は私たちの指揮者の顔に浮んだ驚きを見て、それは決してその男の平常の表情ではないことが分かった。
「どこかお悪そうで
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