アせんと云うことが分かったろう」
トレヴォ氏は船乗りのほうへ歩いて行きながら叫んだ。そして何か低い声でささやいた。
「台所へ行きたまえ」
それから大きな声で続けた。
「そして充分食べたり飲んだりしたまえ。何か君の仕事をきっとさがしてやるよ」
「有難えなア、檀那」
船乗りは頭をかきながら云った。
「ひょいと考えなしに荷物船に乗っかって、三年余り突っ走っちゃったもんでね、おいらぐっすり休みてえんでさあ。で、お前さんとこか、ベドウスの所か、どっちかへ行こうと思ってね」
「あ、君はベドウスがどこにいるか知ってるのか?」
トレヴォ氏は叫んだ。
「知ってますとも、お前さん、おいら古い友達のいる所はみんな知ってまさあ」
その男は皮肉な笑いを浮べながら答えた。そして女中に連れられて台所のほうへ足をひきずりながら歩いて行った。トレヴォ氏は僕たちに、鉱山へ行く途中、その男と一しょに船乗りをしていたのだと、曖昧なことを云ってから、僕たちを芝生に残したまま、家の中に這入っていってしまった。それからちょうど一時間ばかり後、僕たちが家の中に這入って行くと、例の男はグデグデに酔っ払って食堂のソファーの上につぶれていた。――こうした事件は、僕の心の上に一番いやな印象をやきつけた。で僕は、その翌日、断然ダンニソープを引き上げることにした。なぜなら僕のいることが、僕の友達を困らすことになりはしないかと思ったからだ。
こうした事件はみんな、永い休暇の最初の月の間に持ち上ったのだ。僕はロンドンの自分の部屋に帰って来て、それから七週間ばかり、組織化学の実験を少しばかりやって暮した。と、秋が近くなり、休みが終りに近づいたある日、僕は、僕の友達から、ダンニソープへ来てくれと云う電報を受取ったんだ。そしてそれには僕の援助がぜひ欲しいと書いてあるんだ。無論僕は一切を放擲して再びダンニソープに向けて出発したさ。
彼は二輪馬車を以って停車場に迎えに来ていてくれたが、僕は一目見るなり、この二ヶ月の間に、彼はいろいろな大事件にぶつかったな、と云うことがすぐ分かった。彼は痩せて、憂欝になって、誰も知らないもののなかった彼のほがらかな愉快な様子は全く失われていた。
「親じが死にそうなんだ」
彼が云った最初の言葉はこれだった。
「そんなことはあるものか」
僕は叫んだ。
「どうしたって云うんだい?」
「卒中。――神経性虚脱だ。――一日中昏睡状態なんだ。とてももうだめだろうと思ってるんだ」
僕は、ワトソン、君も想像してくれるだろうが、この思いがけない話をきいて、全く驚いちまったよ。
「一体何が原因なんだい?」
僕はきいた。
「ああ、問題はそれなんだよ。――まあ、乗りたまえ。馬車の中で話せるから。――ホウ、君は、君が帰る前の日の夕方、やって来た男を覚えているだろう?」
「ああ、覚えている」
「あの日、僕たちの家に入れてやったあの男を、君は何ものだと思うね?」
「分からないね」
「彼奴《かやつ》は悪魔なんだよ、ホームズ」
彼は叫んだ。
僕は驚いて彼を見詰めた。
「そうなんだ。――彼奴《かやつ》は悪魔そのものなんだ。あれ以来と云うもの、僕たちはただの一日だって、平和だったことはありアしないんだ。親じはあの夕方以来、頭を上げたことがないんだ。そして今や、命をなくそうとしている。親じの心はこの呪うべきハドソンのおかげですっかり滅茶々々になってしまったんだ」
「どんな力を彼奴《かやつ》は持ってるんだろう?」
「それこそ、僕が知りたいと思ってることなんだよ。――ああ、あの親切な、情深い、人のよかった老いた親じ。――一体、どうしてあの親じが、あんな無頼漢につかまったんだろう? ――だが、僕は君が来てくれたので本当に嬉しいよ。ホームズ。――僕は君の判断と分別とに絶対信頼しているんだ。そして君は僕に、きっと一番いい方法を教えてくれるだろうと信じているんだよ」
僕たちは滑らかな白い田舎道を走っていった。僕たちの前には、広い川の長々と延びた流れを越して、沈みかかった太陽の赤い光りが輝いていた。僕たちの左手《ゆんで》にある森の上には、もう大地主であるトレヴォの家の高い煙突と旗竿とが見えていた。
「僕の父親は奴を庭番にしたんだよ」
と友達は云った。
「だが奴《やっこ》さんそれでは満足しなかったので、賄方《まかないがた》に出世させてもらったんだ。まるで家の中は彼奴《かやつ》の思うように左右されてるようなものなんだ。彼奴《かやつ》は家の中をぶらぶら歩き廻って、何でも自分勝手な事をしてしまうんだよ、女中たちは彼奴《かやつ》の酔っ払らいと乱暴な言葉使いに腹を立ててブツブツ云う。親じは仕方なしに、その不平を押えるためにみんなの月給を上げてやると云う始末なのだ。それなのに奴さんは、ボートを引っぱり出し、
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