は衣類箪笥だの、食器棚だのの役目を果してゐるのだつた。
「まあ、おかけなして」
と、立つて来た万福の父が、腰をかがめて信州訛りで私に言つた。
「御無沙汰しちまつて。万福ちやんの怪我はどうですか」
「へえ、お世話になりました。怪我はもう癒りましたが、あれから、飯が食へなくなりましてなあ」
私は床の低い部屋の上り口の、蒲呉座の上に腰を下しながら、不吉な予感に脅えた。
入口を入るまでは、私は万福が快癒し、元気に遊んでゐる姿を見て、私自身も一緒に喜べるだらう、都合によつたら、感謝の辞まで「せしめる」ことが出来るかも知れない、きつとさうだ。と思ひ込んでゐたのだつた。
無意識ではあつたが、もし、私が自分の心の中にもつと頭を突つ込んで、蚤取り眼で詮索したならば、「僕は決して君たちを軽蔑しないよ。だから君たちは僕を尊敬しなければならんぢやないか」と云ふ風な商取引きのやうな心理がなかつた、とは云へないのだ。いや、こんな心が、きつと、どこかにあつたのだらう、と私は思ふ。もしあつたとすれば、それはもう、蝦で鯛を釣るやうなものではないか。とにかく人から感謝されると云ふことは決して悪い気持ではないのだ。
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