はなかなかすまないばかりでなく、まるで親子喧嘩でもしてゐるやうな声高になつて、その揚句には、私に構はず、二人でドンドン上流へ行くのだつた。
 私は二人の後からついて急いで歩いた。
 そこから直ぐ医者の家であつた。
 道より一段低く、その玄関があつた。
 待合室は患者でゴッタがへしてゐた。大抵は負傷者であつた。婦人科が専門のこの医師は工事場について歩いて、殆んど外科を専門にしてゐた。

 太田は玄関に地下足袋を脱ぐ時、私に気がついたと見えて、
「この藪医者は怪しからんです。うちの親爺には、死亡の原因が負傷にあると云つたんださうだが、おぢ(万福の父)には胃が悪いと云つたんだ。それで、今まで、医者の前で、親爺とおぢと医者と三人で、喧嘩をしてゐたと云ふんです。あんたも立ち会つて話を聞いて下さい」
 さう云つて、太田父子は、待合室を通り抜け、病室の廊下を通り抜けて、川を見晴らしてゐる医者の家の居間に入つて行つた。
 その居間には、丸木の大きな火鉢があつて、川を背にして、医者とその養子と、こつち側に万福の父と、安東とが坐つてゐた。
 なか/\話は片づかなかつた。
 何故かと云へば、医師の診断は、死因が胃腸病にあつて、負傷にはなかつたが、その医師の留守に、養子の医学士が診断した時には負傷が原因で神経系統を害した、と明言したのであつた。
 前者の診断は患者に都合が悪くて、会社や組には都合が良かつた。後者の診断はその逆であつた。

 私は悲しい一つの死を繞つて、二つの立場があることを教へられた。
[#地から1字上げ](昭和十三年一月)



底本:「筑摩現代文学大系 36 葉山嘉樹集」筑摩書房
   1979(昭和54)年2月25日初版第1刷発行
入力:大野裕
校正:高橋真也
1999年10月2日公開
2006年2月2日修正
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