ために、家を出たのだつた。
そして、家を出る時に、小学校に今年上つた女の児が、
「お母あさん。もうお米がないのね」
と、米櫃を覗き込んで云つたのだつた。
日曜だつたので、小学校四年の男の子も、私もそれを聞いてゐた。私の場合では聞かなくても知つてゐた。その為の打開策を、もう三年以上も考へあぐんでゐたのだつた。
が、子供たちには、その日、米櫃が空になつてゐることが、何かギクッと来たらしかつた。
町中の雰囲気や、駅頭の雰囲気と、子供たちの生活の本拠の家の中の雰囲気とが、何か違つたものを感じたのであらう。
華々しいもの、潔いもの、勇壮なるもの、さう云つたものから、子供の家へ帰ると、ひつそりと沈んだ冷え冷えとしたものが、両親の体臭のやうに、家中を靄のやうに立ちこめてゐた。
子等は生れると直ぐから、決して裕福には育たなかつた。裕福などころか、転々として居を追はれる両親に附いて、町から村へ、山へ峡谷へと、土方や坑夫の間を、ひどく簡素な生活の間を生ひ育つた。米櫃が空だなどと云ふことは日常の事であつた。
だが、今度ばかりはどこか違ふ、と云ふことを、動物的に直感したらしかつた。その内容は子供等に解る訳もなかつた。その両親の私たちにも解らなかつたから。
二
雨が強くなつて来た。
自分の持つてゐる釣竿は未だ見えた。が、餌箱の中の餌の「チラ」がもう見えなくなつた。釣針も見えなくなつた。ピクッとかかつたので糸を上げても、どこに魚がかかつてゐるのかも見えなくなつた。
もう、釣りも駄目になつた。
私は、「親子心中」をする人たちの、その直前の心理を考へてゐたことに気がついた。
足の下には、日本の三大急流の一つが、セセラギ流れてゐた。減水してゐたので、豪宕たる感じはなかつた。が、それでも人間の十人や百人呑んだところで、慌てると云ふ風な河ではなかつた。
暗い中に流してゐたので、鉤が木工沈床の鉄筋か玉石の間か、流木かに引つかかつてとれなくなつた。
首筋には雨が伝はつて来た。
釣竿を寄せ、竿頭からテグスを掴むと、私は力まかせに引つ張つた。テグスは竿頭から三分の一位の処で切れたことが、手さぐりで分つた。
「サア、帰らうぜ」
と、私は子供たちに声をかけた。
「帰るの、帰らうねえ」
と、子供たちは下流から声を合せた。
だんだん強く降つて来た雨で、私たちは濡れてゐた
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