体、護送されているのなら、捕縄をかけられていなけりゃならないんだのに。奴等は手ぶらでいやがった。解らねえ。俺には分らねえよ。「突破しろっ!」と、あの小僧奴怒鳴りやがった。何だって突破しろなんて云うんだ。「遁げろ」って何故云わねえんだ。何が何だかさっぱり訳が分らねえ。何分、いい度胸だよ。蹴飛ばしやがったな。ポコッと頭が鳴っただろうな。気持ちは悪くねえさ。いい気味だよ。ところで俺は、ええっと、どうしたらいいかな。この附近で一仕事為た方がよかないかな。何しろ、あんなにあそこに集ってる処を見りゃあ、外の処が手薄になってるに決ってる。それに、決ってる。それに近くでやりゃあ、あいつ等が目星をつけられらあな。そうだ。何でも構わねえ。此次に止った処で降りてやる。だがあいつ等たあ一体何だ? 途方もねえ大仕掛な野郎たちだ。二十人も一塊りになって、乗り込んで行きやがる。全で滅茶苦茶だよ。捕るのを覚悟で行きやがるんだもんな。俺はそんなへまはやらねえよ。一人でなきゃ駄目さ。それにしても、奴等は俺とは仕事が違うらしいや。でなけゃ、一人が一人ずつ連れて歩いて仕事が出来る訳はないからな)
 汽車は沿岸に沿うて走った。傷口のような月は沈んだ。海は黒く眠っていた。
 彼の、先天的に鋭い理智と、感情とは、小僧っ子の事で一杯になっていた。
 四十年間、絶えず彼を殴りつづけて来た官憲に対する復讐の方法は、彼には唯一つしかないと信じていた。そして、その唯一つの道を勇敢に突進した彼であった。
 その戦術は、彼の(家)に帰れば、どの仲間もその方法に拠った、唯一の道であった。
 が、乳色の、磨硝子の靄を通して灯を見るように、監獄の厚い壁を通して、雑音から街の地理を感得するように、彼の頭の中に、少年が不可解な光を投げた。
 靄の先の光は、月であるか、電燈であるか、又は窓であるか、は解らなかったが光である事は疑う余地がなかった。
 光を求めて、虫は飛んだ。
 彼は虫のやり方を取った。が、人は総て虫のやり方でやらねばならないと云う法はなかった。外のやり方もあった。が彼には、外のやり方が解らなかった。
(訳の分らねえ小僧たちだよ、奴等は俺たちとは異った眼を持ってやがるんだよ。無気味な、末恐しい小僧たちだよ。そのくせ、いやに明けっ放しでいやがる。全で、良い事でもしてるような調子だよ。俺にゃ、残念だが解らねえよ。怪我のねえようにやって呉れ)
 汽車は走り続けた。
 彼は、警官の密集を利用しようとする、本能的な且つ職業的な彼一流の計画を忘れて、その小僧っ子に、いつか全幅の考えを奪われてしまった。



底本:「日本プロレタリア文学全集・8 葉山嘉樹集」新日本出版社
   1984(昭和59)年8月25日初版
   1989(平成元)年3月25日第5刷
初出:「新潮」
   1926(大正15)年12月号
入力:林 幸雄
校正:伊藤時也
2010年1月26日作成
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