っ子の癖してやがって!)それでいて、その小僧っ子の見てい、感じてい、思ってい、言う言葉が、(親位な俺に解らねえなんて)
 彼は車室を見廻した。人は稀であった。彼の後から跟いて入って来た者もなかった。
(どうにも疑もかけられなかった。危え瀬戸際だったよ、だが、小癪な小僧だよ。あいつは)
 彼と、彼を愕かした少年との間には、言葉の異う二つの国民位の、距離があった。彼には、その少年は、云わば怪物であった。警察や、町などで、彼の知っていた少年とは似てもつかない、妙な訳の分らないものであった。それは、何か知ら追っかけられるような、切迫した感じで彼をつっ突いた。彼は、その本能的な、その上、いつまでも人生の裏道を通らねばならないことから来る、鋭い直感で、大抵一切のことを了解した。今度はどの位だな、と思っていると、大抵刑期はそれより一年とは違わなかった。――一年の人間の生活は短くない。だが、無頼漢共を量る時には、一年の概念的な数字に過ぎなかった。その一年の間に、人間の生活が含まれていると云う事は考えられなかった。それは自分には関係のない一年であった。その一年の間に、他人の生活の何千年かを蛹にしてしまう職業に携っている、その人間の一年では絶対にないのであった。その人は、社会的に尊敬され、家庭的に幸福でありながら、他の人の一生を棒に振ることも出来た。彼には三百六十五日の生活がある! 彼には、三百六十五日の死がある。――
 今度は、三ヵ月は娑婆で暮したいな、と思うと、凡そ百日間は、彼には娑婆の風が吹いた。家の構えで、その家がどんな暮し向きであるかを知った。顔や、帯の締め工合で、そいつが何であるかを見て取った。
 だが、あの不敵な少年は、全で解らなかった。
(あいつは、二つのメリケン袋の中に足を突っ込んでいた。輪になった帯の間から根性に似合わない優しい顔が眠っていた。何を考えているんだか、あの眼の光は俺には解らなかった。旦那衆のように冷たくは光らなかった。憤って許りいるような光でもなかった。涙を溜めてもいなかった。だが、俺を一度でおどかしやがった。フン、俺も大分焼が廻ったな。あんな小僧っ子の事で、何だ、グズグズ気をとられてるなんて、他事《ひとごと》じゃねえや、こちとらの事だ。間誤ついてると、細く短くなっちゃうぞ)
 汽車が、速度をゆるめた。彼は、眠った風をして、プラットフォームに眼を配った。プラットフォームは、彼を再び絶望に近い恐愕に投げ込んだ。
 白い制服、又は私服の警官が四五十人もそこに網を張っていた。
 汽車はピタッと止った。
 だるい、ものうい、眠い、真夜中のうだるような暑さの中に、それと似てもつかない渦巻が起った。警官が、十数輛の列車に、一時に飛び込んで来た。
 彼は全身に悪寒を覚えた。
(畜生! 大袈裟に来やがったな。よし、こうなりゃやけくそだ)
 恐愕の悪寒が、激怒の緊張に変った。匕首《あいくち》が彼の懐で蛇のように鎌首を擡げた。が、彼の姿は、すっかり眠りほうけているように見えた。
 制服、私服の警官隊が四人、前後からドカドカッと入って来た。便所の扉を開いた。洗面所を覗いた。が、そこには誰も居なかった。
「この車にゃ居ない!」
「これは二等だ、三等に行け!」
「発車まで出口を見張ってろ!」
 二人の制服巡査が、両方の乗降口に残って他のは出て行った。
 プラットフォームは、混乱した。叫び声、殴る響、蹴る音が、仄暗いプラットフォームの上に拡げられた。
 彼は、懐の匕首から未だ手を離さなかった。そして、両方の巡査に注意しながらも、フォームを見た。
 改札口でなしに、小荷物口の方に向って、三四十人の人の群が、口々に喚き、罵り、殴り、髪の毛を引っ掴みながら、揺ぎ出した岩のようにノロノロと動いて行った。
 その中に、(見当のつかなかった小僧)が小荷物受渡台の上に彼自身でさえ驚くような敏捷さで、飛び上った。そして顔中が口になるほど、鋭く大きい声で叫んだ。帽子を引き千切るようにとって、そいつを下に叩きつけた。メリケン粉の袋のようなズボンの一方が、九十度だけ前方へ撥ね上った。その足の先にあった、木魚頭がグラッと揺れると、そこに一人分だけの棒を引き抜いた後のような穴が出来た。
「同志! 突破しろ……」
 少年が鋭く叫んだ。と同時に彼の足は小荷物台から攫われて、尻や背中でゴツンゴツンと調子をとりながら、コンクリートの上へ引きずり下された。
 汽車は静に動き出した。両方の乗降口に立っていた制服巡査は飛び下りた。
(畜生! 弁当も買えやしない。何だ、あれは、一体)
 思わず、彼は深い吐息をついた。そして、自分の吐息の大きさに慌てて、車室を見廻した。乗客は汽車が動き出すと一緒に、長くなったり、凭れに頭を押しつけたりして、眠りを続けた。
(何者だろう? あいつ等は一
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