、お前のかい?」
少年は眼を瞑ったまま、聞きかえした。
彼は度胆を抜かれた。てれかくしに袂から敷島を出して火をつけた。
(何てえ奴だ! 途方もねえ野郎だ。え、「じゃ、お前のかい?」ってやがる。それじゃ一体あのバスケットは、誰のものなんだい? 尤もそう云やあ、此小僧っ子の云う事がほんとには、ほんとなんだがな。それゃ、俺のものでもねえし、又此小僧っ子のでもねえんだ。だが、そいつを此小僧奴知ってやがるんだろうか。知ってなきゃそんな無茶苦茶な事が云える筈がなかろうじゃないか。え、都合によると、こりゃ危いかも知れねえぞ)
だが、彼はそこでへまを踏むわけには行かなかった。それが誰のものだろうが、そのバスケットは自分のものでなければ収拾する事が出来なかった。
「だって兄さん。そりゃ俺んだよ。踏んづけちゃ困るね」
「そんな大切なものなら、打っ捨《ちゃ》らかしとかなけゃいいじゃないか」
少年は眼を瞑ったまま、バスケットから足をとった。
生々しい眉間の傷のような月が、薄雲の間にひっかかっていた。汽車は驀然と闇を切り裂いて飛んだ。
「冗談云うない。俺だって一晩中立ち通したかねえからな」
「冗談云うない。俺だってバスケットを坐らせといて立っていたくねえや」
「チョッ、喧嘩にもならねえや」
「当り前さ」
少年は眼を開いた。そして彼をレンズにでも収めるように、一瞬にしてとり入れた。
「喧嘩にゃならねえよ。だが、お前なんか向うの二等車に行けよ。その方が楽に寝られるぜ。寒くもねえのに羽織なんか着てる位だから。その羽織だって、十円位はかかるだろう。それよりゃ、二等に行って、少しでも三等を楽にしろよ。此三等を見ろよ。塵溜だってこれよりゃ隙があらあ。腐らねえで行く先まで着きゃ不思譲な位だ。俺たちゃ、明日から忙しいから、汽車ん中で寝て行き度えんだよ」
「どこへ行くんだい?」
「お前はスパイかい?」
「え?」
「分らねえか、警察の旦那かって聞いてるんだよ」
彼は喫驚《びっくり》すると同時に安心した。
(こいつあ、仲間かも知れねえぞ!)
「俺は商人だよ」
「そうかい? 何しろ、此車にゃスパイが二十人も乗ってるんだからな。俺はまたお前もそうかと思ったよ」
「どうしてだい?」
だが彼は今度はびっくりした。
(おどかしやがる。二十人! 穏かじゃねえや。だが、どうして此小僧がそれを知っているんだ。どこまで此小僧は人を食ってやがるんだろう)
「ナアに、俺たちに一人ずつ跟いて来たんだよ。余り数が多いから一々顔が覚えてられねえんだよ。向うだって引継ぎの時にゃ、間誤つくだろうよ。ほら」
少年は通路に立っている乗客の方を、顎でしゃくって見せた。
「あれが、御連中だよ」
(だが、何だって此小僧奴は子供らしくねえんだろう。まるで四十になる俺と同年配ででもあるような、口の利き方をしやがる。それに云う事だって、理窟許り云ってやがる。顔付きにも似合わねえ野郎だ! だが、待てよ。「俺たちに一人ずつ附いてる、ってやがったな。然らば何だ! こいつ等は?――彼は、然らばと云う言葉を、刑務所で覚えたのであった。――然らばこの小僧は一体何だ?」一人連れていてその癖、網棚から首なんぞ吊るしやがって、横柄な顔をして大鼾で寝てやがる。何を為たんだ、何を。何者だ?)
「それで何かい。その、お前は一体何をやらかしたんだね?」
「何もやらかしゃしねえよ。これからやりに行く処なんだ。だが、お前さん、何だぜ、俺と話しをしてるとお前さんの迷惑になるかも知れねえぜ」
(此野郎。俺の言うことを先に言ってやがらあ。だが、どうだい、危ねえ処に乗り込んだもんじゃねえか。いけねえ)
「そりゃ又どう云う訳でかい?」
「訳なんぞあるもんかい。俺たちと話ししてりゃ片っ端から跟けられるに決まってらあね」
「だから、お前は一体何だ、と聞いてるんだよ」
「俺かい? 俺は労働者だよ」
「労働者? じゃあ堅気だね? それに又何だって跟けられてるんだい?」
「労働争議をやってるからさ。食えねえ兄弟たちが闘ってるんだよ」
「フーン。俺にゃ分らねえよ。だが、お前と口を利いてると、ほんとに危なそうだから俺は向うへ行くよ。そらバスケットを取ってくんなよ」
「ほら。気をつけなよ」
「お前の方が、気をつけろよ。飛んでもねえ話だ」
彼は、針でも踏みつけたように驚いた。
(気をつけろってやがる。奴は俺を見抜いてやがるんだ。物騒な話だ)
彼はバスケットを提げて、食堂車を抜けて二等車に入った。
二等車では、誰も坐っていない座席に向って、煽風機が熱くなって唸っていた。
彼は煽風機の風下に腰を下した。空気と座席とが、そこには十分にあった。
焙られるような苦熱からは解放されたが、見当のつかない小僧は、彼に大きな衝撃を与えた。
(あの小僧奴、俺の子供位に雛
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