も圧迫でも黙つて堪へて床の下へ吹き込まれた草花の種見たいに、碌に芽も出さず、伸びもせずに、痩細つて枯れてしまふんだ。成程われわれは立派な生産者だ。立派な生産者には違ひあるまいが、生きて行く先の無いことも間違ひなしだ。起きて寝るまでは工場で働き続け、寝て起きるまでは夢も見やしない。世の中にはどんなことが起つてゐるか、どんな風が吹いてゐるか、そんなことは全《まる》で分らない。小学校の三年まで行つて職工になつたが、なりたてのほやほやは自分の名位書けた。今はどうだ。駄目だ、駄目だ。鉛筆を掴んだつて掴んだやうに感じない。もう俺の手が持つたと感じるのはハンマーの柄か、デリック位なもんだらう。絶望だ! 何もかも駄目だ! 稀の公休日は嬉しくも何ともない。俺たちに金を呉れずに休みを呉れたつて何になる。女房に甲斐性なしと罵られる位が関の山だ。活動どころかと子供の頭を張り飛ばすのもいゝ気持ちぢやない。あゝいやだ、いやだ。
いつそのこと女房も子も放つといて、勘定を貰ふとすぐその足で二三日遊び続けてやらうか、などと考へることさへある。さうする仲間がある。けれどもそれも俺には出来ない。俺に出来ることは働くことと、飯を喰ふことと、寝ることだけだ。その飯だつて……。
元気のある若い連中はそれでもどうにか為ようと焦つてゐる。それがどうにかなりさうだとすぐに首になつてしまふ。組合などと云ふことは夢だ、夢だ。
労働者ほど詰らない者は、世界中どこを訊ねても恐らくあるまい。一番苦いのが監獄の生活で、その次が労働者で、その次に乞食だらう。尤も此順序は例外なしにさうであるとは勿論云へないが。
労働者は大抵正直な善良な人間に依つて成り立つてゐる。正直であり善良であるために、生活が全で滅茶々々に資本家のために踏み蹂られる。と云ふことは、決して労働組合主義者や、社会主義者や宗教家のみが憂ふることではない。
国家さへも労働者の境遇を改善することに留意し初めたのである。
誰でもが平等に幸福が無ければならぬと云ふことは、誰でもが知つてゐ、欲してゐることである。たゞそれを実現することが非常に困難である。実際問題に打《ぶ》つ衝《つか》るとその衝に当るものは、幸福の代りに惨澹たる不幸を脊負込むのである。
「誰もが幸福であるやうに俺が努力をすると、第一此俺が不幸にならねばならぬ」のである。処が大体人間は神の国を求める位に幸福を欲するのであるから、自分自身を不幸にすることを避ける。
然し、他の人が不仕合な生活をしてゐることは、進んで犠牲になると云ふ覚悟のない人にも、決して快よい感じは与へないのである。そこで「どうせ今の世の中は利己主義が勝つんで、俺が社会改良運動に携つて目玉を剥いて見た処で何にもなりやしないんだ。人類の多数は矢つ張り不幸なんだ。詰り俺は、俺は詰りその、俺さへ良けりやそれでいいんだ」と、考へたくなるのである。
人は分れて行く。各《おの/\》の道を求めて果しのない迷路へと離れ離れに進んで行くのである。
三
兄弟よ。梅雨らしい空が、陰鬱にわれ等の頭を押しつけてゐる。
われ等は暗い空と、資本主義の大磐石の下に永久に喘がねばならぬであらうか。われ等はどのやうに焦つても、どのやうに駆けて見ても此地上以外には住めないと同じやうに、あらゆる社会悪の圧迫以外に首を擡《もた》げることは能きないだらうか。
兄弟よ。沢庵漬は上に加はる圧迫が大きければ大きいだけ、お互に密着《くつつ》き合ひ緊《ちゞ》めつけ合ふのである。が、労働者は沢庵であるか。
兄弟よ。われ等の運命は沢庵である。すつかり食ひ物にされるのである。資本家はいろんな贅沢な食ひ物に飽いては、「これに限る」と云つて、われ等沢庵を食ふのである。彼等の食ひ物は沢庵に初まつて沢庵に終るのである。そして彼等の偉大なる顎と、臓腑とは今の処食ひ過ぎの為病気を起しさうな模様は無いのである。
兄弟よ。上からの圧迫が重いとお互の間の関係は、恐ろしく窮屈になる。互に足を踏み合ふ。肩と肩とが打つ衝り合ふ。けれどもそれは沢庵の知つたことでは無いのである。重しがさうさせるのである。窮屈だからと云つてお互に喧嘩してはならない。世界は樽の中の、われ等萎びた大根と、糟と、それだけつ限《き》りのものではないのである。
資本家及び資本家の傀儡たる重し共は、無数に並んだ沢庵桶の側《そば》で、われ等の見る世界とは似てもつかぬ世界を見てゐるのである。沢庵より上る利益の計算のために必要な算盤や、コムパス達は、今日《こんにち》の土曜と明日《みやうにち》の日曜とを利用して、魚釣《うをつ》りに出かけるのである。
彼等にとつては、われ等はたゞお互に押つけ合つて汁を出してさへゐればいゝのであつて、われ等が生き生きした清新な大根であることは怖るべきことなので
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