ょう》なる事実であったが、その[#「その」は筑摩版では「それが」]簡単であっても、その事のために入費がかかるということも明らかなことだった。ところが、どうしてこの男が母の薬代や妻のあと始末、それから子供への手当て、産婆への報礼などをすることができよう。それどころではなかった。彼は今まで、家族を養っていたA工場にも、出るに出られないありさまだった。畳はビショビショにぬれていた。床の下は魚《さかな》でも住んでいそうだった。便所と井戸水とが同居したのに、まだそれが掃除《そうじ》されていない。
もし、この男が苦労になれなかったか、貧乏になれなかったかで、ちょっと神経質ででもあったのならば、僕らが考えても、首をくくった方が気がきいていそうに思われるくらいなんだ。ところが、この男は我慢したんだ。あとで知る事だが、この男は我慢するんだ、何でも、癪《しゃく》にさわるくらい我慢強いんだ。と僕らは、そう思ってたんだ。ところがどうだろう。まるっ切りやつは感じないんだ。
彼は、この惨憺《さんたん》たる事実に対して、何物をも感じなかったようだった。ただ、金が少々あればいいのだった。それが万事を解決するだろう
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