ょっと以下であった。彼の熟練には、職長も文句が出なかったんだ。彼はA工場の技師長[#「技師長」は底本では「技師」と誤記]と同期で大学を出た、といううわさがあったんだから。ところが白水は学校には、実際は行っていないらしいんだ。しかし、また驚くほど独学をやったらしいんだ。彼は僕と違って、読むべきものを知っていたんだ。探《さが》す目的を持っていたんだ。それに[#「それに」は底本では「それは」と誤記]、白水は、前科が四犯あったんだ。その各《おのおの》の入獄時代に外国語も研究したらしいんだ。年は見たところ三十にも見えるんだが、実際は二十六だった。彼は、資本家からも、労働者からも、別々な立場と意味とからで注目されていたんだ。それはきたない、暗い六畳の間だった。それを白水は借りたんだ。そして彼はそこで自炊を始めたんだ。しばらく彼がそうしているうちにその六畳の間は、いつでも夜になると、労働者が五、六人集まっていないことはなくなった」
一二
藤原は熱心に語った。彼は、白水を目の前に置いて、話してでもいるように、感激し、幸福そうに自分の話に酔っているのであった。彼は、ここまで話して来て、その好きな煙草《たばこ》に火をつけて、肺臓全体に煙の行きわたるように、深く鋭く、煙をすった。
波田は、熱心に聞いていた。そして、白水というのは、藤原の前名のことではあるまいか、と、藤原の話の合い間合い間には疑ったりしていた。それは、藤原によって語られ、表わされる白水ではあるにしても、あまりによく藤原に似すぎていた。けれどもそれはどうでもいいことであった。
「フーム、鉄工産業の労働者は頼もしいね」と、波田は詠嘆的にいった。
「労働者は、主人になるんだからね、労働者の手によって、平和と幸福とがあがなわれるんだからね」ストキは、ホッとしたようにしていった。
「それから、その男はどうしたんだね」と、波田は本をいじりながらきいた。
「白水は、自分の六畳の薄暗いというより、ほとんどまっ暗な間《ま》を、夜間――昼間でもいいのだが、昼間は皆仕事に出るのであった。が、中には、昼間弁当を持って本を読みに来る者もあった――開放したのであった。そして、顔は変わっても、数はいつでも大抵五、六人、多い時は十五、六人も集まった。そして、そこでいろんな話が取りかわされた。僕も、その集まりには毎晩出たものだった。
白水は、彼の室では、またはその集まりでは、まるで工場における彼とは別人のように柔和に、そして気軽になるのだった。最初の間は、だれでも不思議に思うのだった。だれかが『白水君は、工場と、家とに別々な全く異《ちが》った白水君を持ってるんだね』といった時、彼はこう答えた。
『それや僕に限ったこっちゃないぜ。君だってそうじゃないか、機械の付属品たる君と、妻君のための君と、奴隷としての君と、君の主人としての君と、だれだって、労働者はこの二つの人格を持っていないものはないだろう。君だって、機械の付属部分として働いてる時の顔つきや気持ちと、今の、それ、細君や、子供のための君としての顔つきや気分の方が、どのくらいなつかしい、親しい人間だかわからないよ。燈台下暗しだぜ、ハッハッハハハ』と。そこに居合わせた者も、皆声をそろえて笑った。彼の説明は按摩《あんま》のように人を柔らかにし、その疑いを解いたんだ。
そして、話はいつも、こういったふうな冗談から口を切られて、なぜ労働者が機械の付属部分であるか、という質問が生じて来るのだった。それには白水君がだれも返答しない時に、ゆっくりと、よくわかるように、説明を加えるんだ。
こういうふうにして、そこに集まって来る労働者は、必ず、一つずつか、二つずつか、自分自身の身の上の解剖を会得して帰って行くようになった。
こうしている間にも、白水は、絶えず、警察から、尾行されたり、張り込みされたり、呼び出しを受けたりするんだった。そして、それが、毎晩そこに集まることが原因であることが、そこへ集まってくる人たちにもわかって来るのだった。
そのうちに、そこへ絶えず集まる者には、たとえばぼくらなどにも、時々警察の目が光るようになって来たんだ。それがなぜだかわからなかったんだ。しかし、若い者は警察からかれこれいわれることに対して、非常な反感と、従って、それを激成するような、立場になって行くのだった。彼らは今まで無邪気に聞いていた。しかし、警察が彼らの私宅を訪問したり、その工場を訪《たず》ねたりするようになると、彼らは真剣に聞くようになって来た。そして、警察をだんだん恐れぬようになって行った。
『おれたち自身が何であるかを、おれたち自身で研究することが、なぜ悪いんだ』と、若い労働者たちは、警察の刺激の洗礼を受けると、一種の無産階級信念――を抱《いだ》くよ
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