うな話をしたいと思うんだが、どれがほんとだか、どこからがこしらえたんだか、今では自分にもわからなくなってしまったんだ。ハハハハハ」と気のよさそうに笑った。
 「君は全く、無産階級芸術家の宝玉だ。全くだよ」と藤原は、全くまじめにいった。
 「小銃だと受けこたえができるが、藤原君がタンクを使用し始めると、僕も退却以外に応戦の法がねえや。ハッハハハハ」
 西沢も、そのベッドへ上がって、ころがってしまった。
 「どうだい、だれもかも皆寝ちゃったね。『寝るほど楽はなかりけり、浮世のばかが起きて働く』って歌があるじゃないか、皆賢くなっちゃったね」といいながら波田は、自分の巣から本を持ち出して来て、それを、罐詰《かんづめ》の蓋《ふた》のところへ行って読み始めた。
 藤原はしばらく、暗い室の中で、煙草の火だけを、時々明るくさせては一人《ひとり》、何か考えているのであった。が、やがて彼は煙草を捨てて立ち上がった。
 「波田君、君は感心に本を読むね、それは何て本だい。航海学かい」
 「ナアニ、友人から借りて来たんだが、とてもむずかしくて、わからねえんだ」
 「ちょっと見せたまえ、ヘヘー、マルクス全集、第一巻2[#「2」はローマ数字]か、資本論か、それや君、社会主義の本じゃないかい」
 藤原は、自分もその本を非常に読みたく思っていたが、あまり高価なので今まで買うことができなかった。彼は中をめくって見ながら「おもしろいかい」ときいた。
 「おもしろいか、おもしろくないか、ためになるか、ならぬか、まるでわからぬよ。意味がわからないんだ。ところどころサーチライトで照らし出したほど部分的にわかるところがあるんだ。そこはね、本文の論旨を説明するために引例したところさ。その例だけはわかる。そしてすてきにおもしろい。おもしろいというより、何だか、僕たちのことが、僕たちの知ってるより以上にくわしく書かれているよ。だけど、その例以外はまるでわからないんだよ」波田は正直に答えた。
 「僕にも読ましてくれ、ね」藤原は頼んだ。
 「ああ、いいとも、読んでくれたまえ、まだ続きが三冊あるからね」
 「僕も本を読むことは好きだったよ。随分よく読んだものだよ」といって彼は、波田と並んで木のベンチへ腰をおろした。彼は、人を人とも思わないような、ブッキラ棒な男であった。そして必要以上は口をきくことがきらいなように見えた。
 「全く君は読書家だね」と波田は藤原に同意した。「そして、どんな本を君は好んで読んだかい」
 「僕はね。ありとあらゆる詰まらない本を読みあさったよ。珠算|独《ひと》り学びなどいう本まで、珠算なんてする気もなく読んだし、ドンキホーテも、渡辺崋山[#「崋山」は底本では「華山」と誤記]《わたなべかざん》も、占易《うらない》の本から、小学地理、歴史、修身、全く何でもかでも活字の並んでいるものは手当たり次第に読んだよ」と、藤原は、何だか、河《かわ》の堤防が決壊しでもしたように渦を巻いて彼の話を話し出した。

     一一

 藤原は、そのいつもの、無口な、無感情な、石のような性格から、一足飛びに、情熱的な、鉄火のような、雄弁家に変わって、その身の上を波田に向かって語り初めた。
 「僕が身の上を、だれかに聞いてもらおうなんて野心を起こしたのは、全く詰まらない感傷主義からだ。こんなことは、話し手も、聞き手も、その話のあとで、きっと妙なさびしい気に落ち入るものだ。そして、話し手は、『こんなことを話すんじゃなかった。おれはなんてくだらない、泣き言屋だろう』と思うし、一方では、『ああ、あんなに興奮して、あの男に話さすんじゃなかった。この話はあとあとの生活の間に何かの、悪い障害になるかしれない』と、思うに決まってる。ところがそんな結果をもたらすような話だけが、何かのはずみで、どうしても話さずにはいられない衝動を人に与えるものなんだ。あとで何でもないような話は、何かのはずみに、だれかを駆り立てて、話さずには置かないというような、興奮や衝動を与えはしないんだ。僕は、今日《きょう》、僕が本をむやみに読んだという話から、僕は我慢できなくなったんだ。それほど、僕は『本を読んだ』ことが、僕にばかげた気を与えたらしいんだ。『本を読んだ』ことは、僕が起きるのにも、眠るのにも、ものをいうのにも『本を読んでる』ような感じを人に与えるらしい。つまり僕は本の読んでならない乾燥したものばかりを読んだんだ。
 それで僕は見事に頭をこわしてしまった。今から考えると、そのころ、僕は何を読むかという大切な読書の要件がわかっていなかったんだ。時によると、図書館で、目録だけを半日かかって読んだ。そして結局、本を読むことは、僕に何も与えないことを知ったんだ。そして今になって考えると、そのころの僕には、生活がなかったんだ。生活
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