長は、意外に、水夫らが結束を固めているのを見た。それは、発作でもなかったし、衝動でもなく、計画されたものであったのを知った。
 この時、火夫室ではまた、喊声《かんせい》が上がった。それがサロンへ響いて来た。
 出帆時刻は、どんどんとおそくなる! 正月はどんどん近くなる!
 船長は、いら立って来た。
 「西沢、貴様はどうだ。宇野《うの》(捺印した舵手《だしゅ》)、小倉、貴様らも同意した、捺印したんだな。よし、チーフメーツ! ボーレンへ至急行って、水夫四人、コーターマスター二人《ふたり》、ボースン一人《ひとり》、――とうとうボースンにも祟《たた》りは来た――すぐ、万寿丸へ、チャンスだといってくれたまえ、そして、こいつらを乗船停止を命じて、それを雇い入れてくれたまえ、出帆が、あまりおそくならないように、今からすぐかかってくれたまえ!」彼はチーフメーツに命じた。
 その結果は、水夫らは、昨日《きのう》からもう知っていたのだ! 室蘭じゅうのボーレン(それは半素人《はんしろうと》のも入れてたった三軒切りないのだ)――に、昔船のりだった、そのボーレンの主人が二人と、一人の沖売ろうとがいるだけなのだ! 彼らは、陸上に一軒を経営しているのだ! 彼らは、どんなことがあったって、十三円や十八円で、一家の生活を保とうとして船に乗る気づかいはなかった。ストライクブレーカーはおあいにくであった。「そのくらいのことは、おれたちだって気をつけてるよ」と藤原は言ってやりたかった。波田はもうムズムズしていた。
 ボースンは驚いた。その職業と、月二割の利子――もっともうち、一割はチーフメーツ(実は船長かもしれない)が、上前をはねるんだが――とが、フイになるのである。しかも、彼は、何をしたんだ! ただ、忠実な番犬だったのみではなかったか。彼は、功労こそあれ何の過失があったか、すでに、彼は、いったんの危急をチーフメーツのために、救助さえしたではないか。
 「しかし、これは船長に何かの深い考えがあることだろう。一度、皆の前でそう言って、ボースンは代わりがいない――と言うようなことにするつもりなんだろう。でなきゃ、船長だっておれの首を切れた義理じゃなかろう、おれがいなけゃ、あの妾《めかけ》だってあんな具合に、お安く手に入らなかったに違いないんだから」
 哀れなボースン、彼は憶病犬みたいに、半信半疑で、主人の心を探っていた。だが、ボースン、君が、君自身のことを考えるようには、他の人は決して君のことを考えてはいないんだ。君自身が食えなくて餓死する刹那《せつな》にだって、他の人は妾のことや、芸妓《げいぎ》のことなどを考えてるのだ! 他の人は、全く、他の人の身の上のことなど、てんきり考えはしないんだ。他の人とはお前を使うところの人だ、わかったか、ボースン!
 だが代わりは、ボースンに限ってないわけではなかった。それは、室蘭じゅうに一人のボーイ長の代わりだってなかった。
 チーフメーツはややこの点に、その考えを向けるだけの余裕を持っていた。
 「船長」と彼は、船長の回転椅子の背後から、低い声で船長を呼んだ。
 「チョッと」と彼はあとしざりした。
 「何だね? うん、ああそうか、じゃあ室へ」チーフメーツへ言った。チーフは船長室のドーアの中へ消えた。
 「お前らは、ここへ待ってろ!」水夫たちにこういうと、船長は、チーフメーツのあとを追って自分の室へはいった。
 船長も、その辞書の中から、不可能という字を、削る冒険はするくらいな男であった。従って、チーフは、船長に室蘭でそれだけの労働者を、即時に得るということは「不可能」だと、いいたかったのであった。が、船長は、全く、始末にいかぬタイラントであった。それは、コセコセしたちしゃの葉のような感じのするタイラントだ。
 「船長、室蘭にはボーレンが一軒切りありませんが、ね、……」彼は、どうだろうといったふうに、
 「正月前だから、休んでいるものがないだろうと思うんですがね」チーフメーツは切り出した。
 「もし、室蘭になかったら小樽《おたる》か、函館《はこだて》から呼ぶんだ。えーっと、しかし、そうすると横浜帰航が大変おそくなるね。だが、室蘭に五人や十人の船員がないってことはないだろう。君は調べて見たかね」船長はきいた。
 「実は、入港するとすぐきいて見たのですがね。二、三日前までは、三、四人休んでいたが、便をかりて横浜へ行ったとか言ってたんです。だから、それから一週間にもならないんだから、とてもだめだろうと思うのですよ。で、なけれや私もストキは、早く処分しなけりゃならないとは思っていたのですから、代わりさえあれば、ここで下船させるつもりだったんです。あれさえいなけりゃ、何《なあ》に他の連中は尻馬《しりうま》に、乗ってると言うだけのもんですからね。ど
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