。実際だね。僕だって、もう二十五になるんだからね。恋も、愛も十分に知ってるさ。その時に、もし、そんな処女に病院で出会ったらだね。この糞のにおいのする仕事着にでも近づいて来るだろうかってことを考えてるんさ、ハッハハハハハ」彼は笑った。その笑顔《えがお》の中には全く、処女湖に宿す、処女林のような純な表情があった。
「だって、君は、自分でも言ってるじゃないか、『女難|除《よ》け』にはこの菜ッ葉が一等だって、そうだと、もちろんその娘だって例外じゃないぜ」小倉が言った。
「悲観悲観、おれが女のことなどいい出したのが、よくねえんだな、おれの妹だって、こんなきたない労働者とは結婚したがらねえだろうからな。ハッハッハハハハハ」
「それは全くだよ、波田君」藤原は感に堪《た》えぬようにして言った。
さてしたく、――それは、その通すべきところへ、手、足を通して、はめるべきところへボタン、靴《くつ》、帽子とはめればいい――はでき上がった。全く波田は「女難|除《よ》けのお守り」であった。新米の乞食《こじき》などは、彼より立派な風《ふう》をしていた。彼の髪と来たらなれた乞食と区別がつかなかった。
波田は、ボーイ長を背中に負《おぶ》った。水夫たちは、ボーイ長を彼の背中に、そうっと乗せるようにした。
「済みません」と、ボーイ長はうれし涙に詰まったような鼻声で言った。
三人は、四本の足で出発した。
子供を負んぶすることでさえも、非常に肩が痛く、また重いものである。ボーイ長の場合にははなはだしく重かった。そして、困ったことには、その胸が痛く、なおより悪いことは、砕けた左の足が、ともすればダラリと下がって、雪の中をひきずるのであった。ボーイ長は、足を引き上げていようとして、全身の注意を左足に集めて、それを、ひきずらすまいとしたが、だめであった。ボーイ長の足の下がると同様に、波田の手までが下がるのだった。
波田が、ボーイ長を揺すり上げるのは、二十歩から十歩になり、今では一歩ごとに揺すり上げるようになった。ボーイ長は、痛さと寒さとのために、顔色をなくしていたが、それでも辛抱した。
彼らは、桟橋から、二十間ぐらいのところにある、[#「、」は底本では「。」と誤記]番小屋へはいった。そして、ボーイ長をベンチへおろした波田は、額の汗をぬぐった。
「アア、ご苦労様」藤原は言った。ボーイ長は、心臓の鼓動がくたびれていて、額から冷汗が出て、ものを言う気に、どうしてもなれなかった。ただ、アーッと小さくため息をもらした。
番小屋で休んでいた男女の人足たちは、彼らが取りめぐっていた、ストーブの一辺をあけて三人に与えた。そして、ボーイ長の負傷に同情と憐愍《れんびん》の言葉を贈った。
「おれたちあからだが資本《もとで》だでなあ、大切にしなけれや」と言い合った。「かわいそうにまあ、まだ子供だによ」と言った。
ボーイ長の左足は、銃剣の尖《さき》のように、白木綿《しろもめん》でまん丸くふくれ上がっていた。その尖《さき》がストーブの暖かみで、溶けた雪粉によって湿らされていた。
ボーイ長は、そこで、変わった人々の慰めの言葉を聞いて、涙ぐまれてしようがなかった。
彼の母ぐらいの年配の老いたる婦人も、あの劇労に従うのであろう、ショベルを杖《つえ》にストーブのそばへ立っていた。彼は、恥ずかしい気持ちを感じた。なぜそうであったかはわからないが、彼がけがをして病院へ負われてなど行くということが、恥ずかしい気がしたのであっただろう。そこにいた人たちは、そんな大きなショベルを動かすさえ困難であったように見える、年配の人が多いのであった。それは皆四十を越しているか、そうでなければまだ十五、六の子供かであった――そんなのが娘さえも交じって四、五人いた――働き盛りの者はどこにいるだろう? と、人々は思わずにはいられなかった。
働き盛りの者は、夕張《ゆうばり》炭田の、地下数千尺で命をかけて、石炭を掘っているのだ! それに、彼らの息子《むすこ》や娘が、そっちへ出かせぎに行っているのだ。そして、帰って来れば、不具者か敗残の病躯《びょうく》か、多くは屍《かばね》になって帰って来るのだ。
「おれも、片輪になって帰らねばならないだろうか」ボーイ長は、灰になりかけた石炭のような、味気ないさびしさに心を虫食われた。
「サア、行こうか、今度は僕が負《おぶ》うからね」藤原が言った。
人足の人たちも手伝ってくれて、ボーイ長は藤原に負われた。三人は、また、四本の足をもって、馬蹄形《ばていがた》の海岸の石崖《いしがけ》の端を、とぼとぼと拾い歩きして行った。そうして、藤原は丈《たけ》が高かったにしても、雪は二尺から積もっていた。踏まれた道は狭かった。ボーイ長は、道ばたの高い雪へ、足で合図の印《しるし》でもつけ
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