いるし、ボースンにしても、三上にしても、死に得た。彼らは足が立たなかったといっていた。そのはずであった。どんな大男でも、海の幅ほど丈《たけ》のあるものはないからだ。つまり彼らは、横になりながら足を突っぱろうと試みたのだ。
二人は、櫓と、舟板と洋傘とをしっかり握りしめて、人足に助け上げられた。
ボースンの荷物は、布団《ふとん》一枚と毛布一枚との包みが取りとめられた。そして、帆木綿《ほもめん》の袋の方は流れた。そして、一切は残るくまなく完全にぬれてしまった。それは、吸い取り紙が完全にぬれたように、ほとんど一切を役に立たなくしてしまった。
それは、ブリッジから、望遠鏡で見る時に、流れて行く行李《こうり》まで見えたくらいであった。
「これは痛快だ、こいつあおもしろい、ワッハッハハハハハハ、ワッハッハッハハハハハ、とてもたまらない[#「たまらない」は底本では「たまらい」と誤記]、ワッハッハハハハハ、あれを見たまえ! 舟板を虎《とら》の子みたいに抱いてるぞ、ワッハッハハハハハ」船長はころげ歩くばかりに笑い狂った。全く、それは、関係のない者から見ると、おかしい情景でもあったろうさ。チーフメーツも笑った。
おもてのウォーニンの下でも、砂丘の上の粒のような人間たちが、動揺し始めたことを見た。何だろう? と伝馬の行方《ゆくえ》をさがしたが見えない。そのうちに、ブリッジで、船長とチーフメーツが腹を抱《かか》えて笑いころげているのを見た。そこへ、ブリッジから、非番になったコーターマスターがおりて来て、ボースンの伝馬が、巻き浪に巻き込まれて顛覆《てんぷく》したが、人命だけは人足に救われたことを知らせた。
彼らは、ウォーニンの柱やレールに上《のぼ》ったり、つかまったりして、それをながめようとした。けれども、波にさえぎられて見えなかった。彼らは下に降りて、寝そべりながら、彼らについて話し合った。
夕方になって、三上は、ふくれっ面《つら》をしてボースンと共に、また帰って来て、船長に、子細を告げた。ボースンは、船長に損害賠償を要求しようとしたが、テンで、デッキまでも上がらされなかった。すでに彼は、万寿丸のデッキさえも踏み得なくなっていた。そして、一切は浪にさらわれた!
三上は、再びボースンを送って行って、夜になって帰った。
ボースンは、横浜へ帰って、全く、くず鉄の山の中の一本のねじ釘《くぎ》のように、わずかに存在しているに止《とど》まった。彼は、帆布の縫い工になって、一日七十銭を取っているのであった。
これが、船長の偉業であり、これが、ボースンが、「当然」受けねばならない報いであった!
三六
私がまるで酔っぱらいのように、千鳥足で歩き、一つのことをクドクドと、繰り返している。だが、これは、私が船のりであるからで、小説家でないからのことだ。全く、こんなことを、いや、「書く」ということは、とてもむずかしいものだ!
ボーイ長は、もうこれですっかり傷も、それから来た病気も、「これでいよいよなおるんだ!」と思った。それは、今から室蘭の公立病院に行くからであった。
そこに行くためには、どうしたって、海も見るだろうし、家も見るだろうし、木々も見えるだろうし、また、町の人々も、そのほかいろいろなものを見ることができるんだ! そうだ、彼は頭の上の、上段の寝箱の底板ばかりを一週間ばかりながめつづけていたのだった。
こんな場合には、人は恐らく、どんなものでも、見るもの一切がなつかしいものだ、どうかすると、自分にけんかを吹っかける、酔っぱらいでさえも。それは放免された囚人の心と同じであった。
彼を連れて行く、藤原と、波田とはしたくをしていた。したくをしながら、二十五歳のキビキビした青年、波田は悲痛な冗談をいっていた。
「病院には、看護婦がいるぜ、色の白い、無邪気な、それほど別嬪《べっぴん》ではないが、すてきにかわいい……」
「何だい、こいつすみに置けねえなあ、君は病院に行ったことがあるかい」波田にしては珍しい話なので、藤原が一本突っ込んだ。
「その目がいいんだ! 目がね、汚《よご》れたどんな塵《ちり》も映さない、山中のまだ発見されない、処女湖のような澄み切った、親切な目なんだ! その女は、全く、どの患者にでも、兄妹《きょうだい》のように、わざとらしからぬ親切さでもって、接するんだ!」波田は、すでに十度以上は、便所|掃除《そうじ》で汚《よご》した仕事着に腕を通しながら、自分の恋人のことを語るように言った。
「似合わねえな。波田君、糞《くそ》だらけの服と、澄み切ったひとみの処女とは、どう工面して見たって、縁がねえなあ」と、藤原は冷やかした。ボーイ長までも、ウッカリほほえんだ。水夫たちも笑った。
「マ、待ちたまえ、先回りしちゃいけないよ
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