った。
 「わかったよ、藤原君! 僕らは、一飛びに跳《と》ぶことよりもジリジリ進む方がいいんだろう。自分だけがブルジョアになろうとするよりも、成功しなくてもプロレタリアの戦士で、倒れた方がいいんだ。僕には、それがよくわかるんだ。そしていつも君たちには敬服してるんだ。だが、僕には、その勇気と、決断と、信念とがないんだ! つまり憶病者なんだ! 僕は! 卑怯者《ひきょうもの》なんだ! だが、僕は、今度は、やるよ、やって見よう! コーターマスター四人をも起《た》たせて見よう。僕にもようやくわかったような気がするよ」小倉は、ようやく厄介なものを払いのけた、と言ったふうな顔つきをして残ってる菓子を摘まんだ。
 「それで」と西沢は口を切った。「だれが船長に打《ぶ》っつかるんだい」彼は、まるっ切り黙ってるわけにも行かない場合にしゃべるような、それと同じ気持ちで、同じようなことをそこへ吐き出した。
 「おれたちじゃとても太刀打《たちう》ちができねえから、やっぱりストキに頼むんだね」
 「じゃあ、今夜要求条件をこしらえて、それに全部で連印して、それを船長に提出しようじゃないか」波田がいった。
 「いいだろう」皆が賛成した。
 「だがそれはいつやるか? その時を選ぶことが、[#「、」は底本では「。」]勝つも負けるも、時を選定すると言うことになるだけだと僕は思うんだ、ことに、船長は帰りを急いでるからね。正月は目の前だしね。おれたちの用事がなくなった時に、おれたちが力を示そうとしたって、それやだめなことだから」藤原は、実戦家としての提案をした。
 「だがさっきも言ったことだが、要求がはねつけられた時はどういう対策を取るんだね」小倉はそれを聞いた。「始めることになれば、おれも徹底的にやらねばならん」と彼も覚悟したのであった。
 「それは、ストライクが皆の意志で決定されるように皆で、決定しなければならない重大な問題だ。要求条件を出しただけでは、まだなんでもないんだからね、それで容《い》れられない時に、休業するか、怠けるか、下船しちまうか、等の方法があるわけだね。こんなところで下船するというわけにも行かないから、それもやむを得ない時はもちろん、裸ででもこの雪の中へおりる覚悟はしているんだが、下船するということは、最後の場合にとって置いて、そう大切でない時は怠けて、これをやっては絶対にいけないというような仕事の日には休業しちまうんだね。これが一番効果の上がる方法だと思うんだ」リーダーは、実戦の闘士、藤原であった!
 「そんなことは、一体どこで相談をするんだい」西沢がたずねた。
 「それは、もし、コーターマスター全部が承知したら、コーターマスターの室でやろうじゃないか」と小倉が言った。
 「それはいいだろう」で、本部は三畳敷きに足りない舵取《かじと》りの室を第一の候補地にした。コーターマスターがはいらなかったら「おもてでいいさ」ということになった。
 「それで、いつ一体やるのかい」波田が今度は聞いた。
 「いつがいいと思う」と藤原は反問した。「それは皆が一番いいと思った時が、いいんだ」
 「おれは出帆の時がいいと思うぜ。出帆の時におれたちが遊んだら、第一ワイアやホーサーが桟橋からはずれっこねえんだからな。ヘッヘッヘヘヘヘ」と西沢は、戦闘を開始したような気でいた。
 「そうさなあ……出帆の間ぎわに要求書をブリッジへ持って行くか?」小倉が言った。「『これを承認してください。何でもあたり前のことです』とやるか」
 「そうじゃないよ。要求書を、やつの目の前へつきつけるんだよ。『やい見えるかい、え、これに判をつけ、さもねえと、正月は横浜じゃできねえぜ』と高飛車《たかびしゃ》に出たら随分痛快だろうね」西沢はいった。
 「出帆の時はいいだろう。第一、おれはチエンロッカーにはいらないよ」波田は、自分のあの困難な仕事が、船の出帆に際して、どうしても省略することのできない重大な作業であることを、ハッキリ見ることができた。「おれたちを月給|盗棒《どろぼう》みたいに考えることは、まるで違ってるってことをハッキリ思い知らせた方がいいだろうよ」彼は、何だかほんとうに、人間として、労働者として、貴《たっと》い犠牲的な、偉大な事業に、初めて携わりうるという晴れがましい誇りと、自信とを感じないわけには行かなかった。
 「だが、これがよし通ったにしても、これが最後の勝利ではないということを、よく考えて、なるたけ大事をとってくれないと困るよ。たとえば要求は通ったけれど、あとで気をゆるめたために、毎航海毎航海、一人《ひとり》ずつ下船させられたなんてことになると、二、三航海のうちに、また元々どおり、ほかの人間は搾《しぼ》られるし、僕らだってばかを見なけれやならないからね、争議は、その時も大切には相違ない
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