い、[#「、」は底本では「。」と誤記]虐げられたる女性、それは、虐げられさいなまれて来た労働階級と、よく似た運命を持っていた。
 彼らは女性を慕った。そして、それが娼婦《しょうふ》と淫売婦《いんばいふ》とに限られてあった。女の中でも最も弱い階級と、男の中で最も虐げられた階級との間には、ブルジョアがそれらに対する時と違って、どこかに共通な打ち解けた点があった。それは共同の敵を持っている味方同志であった。
 表面的の関係は買い、売った、ことになっても、彼らにきわめてわずかに残された人間性が、それを、人間的に引き戻す機会もあり得た。そして彼らはどちらも、プロレタリアであった。
 荒《すさ》みにすさんだ心に、落ちる一滴の涙は、どんなに悲しいものであるか。
 女はやがて牛肉を鉢《はち》に並べて持って来た。そしてそのあとから今一人若い二十二、三の女中がお燗《かん》のついた銚子を持ってはいって来た。
 女がいたり、酒があるということは三上を有頂天にした。彼は一人《ひとり》でしきりに飲んだ。女たちにもしいた。少しは彼女らも飲んだ。
 「どうしてあなたは少しも飲まないの」と、若い方のが、小倉にもたれかかりながらきいた。
 「その代わり食ってるだろう」
 「だって、私たちもいただいてるんですもの。少しは飲むものよ、男ってものは、ね」
 彼女は小倉が生《き》まじめで、肉ばかり食ってるのを見て、少し陽気にしてやろうと考えたらしいのだった。
 「ところが、僕は酒が飲めないんだ。船のりらしくもないだろう。でもやっぱり飲めないんだ。虫がきらいというんだろうね」といいながら、小倉は肉や葱《ねぎ》などをつつきながら、頭は纜《もや》いっ放しの伝馬《てんま》のことと、三上対船長との未解決のままの問題との方へばかり向いていた。
 で彼は、三上が、しきりに女をからかったり、例の変態的な性格でいやがらせたりしながらも、小倉の方に時々探るような目を注ぐのに気がつかないのだった。
 三上は、やはり、船長との一件で小倉の意見が聞きたかったのであったが、それよりも、彼は、その場の喜び、形式だけであるかもしれない、事実それに違いないところのその浅い喜び、ほとんど通常の陸上の人から考えると嘔吐《おうと》を催すかもしれない、その女たちの風体、態度、その他一切の条件にもかかわらず、それを長い間そのために一切を捨てて探《たず》ねあぐんだ冒険者が、金鉱でも発見したかのように、その喜び、その楽しみから、一歩も足を踏みはずしたくなかった。実際三上は、もし、ほんとうに三上を愛する女があったら、彼はその女のためにどんなことでも虚心平気にやってのけたに違いない。彼は、生まれてから、すぐにその生《うみ》の母親に死に分かれて、それっ切り、人間に愛があるということはおろか、子供に乳があるということすらも知らずに育ったのであった。彼はきわめて幼い時から、海べへ出て、漁夫の手伝いをした。そして自分の食う分は五つぐらいの時分から自分でかせいだ。そして彼は小学校へ行く代わりに鰹船《かつおぶね》で太平洋に乗り出した。沖を通っている、山のような船の中に「洋服」を着た人間が働いているのを見て、「自分も洋服を着て働きたい」というので、鰹船を捨てて、汽船乗りになったのであった。彼は、だれからも、ほんとに愛されたことのない人間であった。まただれもほんとに心から三上を愛する気にはなれないだろうと思えるほど、彼は異様にひねくれていた。そのくせ、彼は、「だれかがほんとにおれに親切にしてくれたら」と、どんな時間にでも思わぬことはないのであった。従って、彼は、西沢が女郎に愛されたという話を聞くと、きっと、彼はその女の名前をきき出して、次航海には、ソーッと一人《ひとり》で、「愛」とはどんなものかを探りに行くのであった。三上のこの心の秘密は、だれも知らなかった。であるから、彼は変態性欲者と、その真実の「愛」を求める原始的巡礼の状態を名づけられたのであった。で、彼は自分が、他にとって、決して真摯《しんし》な愛に相当しないことをさとって、自らもジョーカーとなったのである。
 三上は小倉を盗み見しては飲み、かつ、その年増《としま》の女を捕えて悪ふざけしていた。が、小倉は黙って食っていた。小倉の相手の女はとりつき端《は》がなくて、困っていた。三上が便所に立って、相手の女も続いて案内に立ったあとで、小倉のそばにいた若い女は、「どうしてあんたはそんなに黙ってるの、何かおもしろくないことがあって? も一人の人はあんなにはしゃいでるじゃないの、それとも、もうあんたは眠いの?」とその膝《ひざ》にもたれながら小倉にきいた。
 「あの男はね、かわいそうな男なんだよ。あの男の事を僕は心配してるんだ」と小倉は答えた。
 「どうして、あの人がかわいそうなの。私ならあ
前へ 次へ
全87ページ中30ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
葉山 嘉樹 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング