。いずれ、深い事情があるだろう』と、きいたところが、その女郎め『わしのうちは、おとうさんが百姓で貧乏だったところへ、不作が三年続いて、地主に掟米《おきてまい》が納められずに、苦しみ抜いたあげく、ついに私が身売りをして、地主に義理を立てることになったの』といったんだ。そして、その女め鼻声になって、『世の中に義理ほどつらいものはないわ』といったんだ」
 この話は三上の直接の、彼自身だけに関する露骨な淫猥《いんわい》な話よりも、聴衆に受けがよかった。で水夫たちは、西沢が全力をあげて混ぜっかえすにもかかわらず、三上をおだて上げて、その睦言《むつごと》の全部を繰り返させた。
 「そうすると、西沢のど助平め、何というかと思ったら『や、義理ほどつらいものは全くない。そして、そのつらい義理を守るのは貧乏人ばかりだ。義理を守るから貧乏にもなるんだ。私の家も貧乏で、ちょうどお前さんくらいの妹がある。その妹も、やはりお前さんのように、このつらい商売をして、私と一緒に信州の親たちに仕送っているんだ。私は妹からのたよりで、お前さんたちが、どんなにつらい境界《きょうがい》を送っているかよく知っている。ま、年《ねん》の明けるまで辛抱しなさいね。決して短気を起こしたりなんかしないでね』ってやがるんだ。畜生! ばかにしてやがらあ、そしたら女のやつしくしく泣きながら、『あんたのようによく物のわかった、親切な人はありゃしない。私は、あなたが私の兄《にい》さんのような気がする』といいながら、何かしていてあとは聞こえなかったが、今度は、西沢め、『おれもお前が、私の妹のように思えてならない』ってやがるんだ。それからはもうほんのコソコソ話になってわからんから、おれは障子に、指に唾《つば》をつけて、穴をあけてのぞいてやったんだ。そうしたらお前」と、三上一流の頭脳に映じた、その場の情景を、全くおおうところなく、すっかり、さすがの西沢もいたたまれないほどの、描写をもって、そこに再現してしまった。そして最後に、「よくよくこいつには妹が沢山あって、方々で女郎をしてやがるんだ。そしてまた、妹のように感じる女とどうして、やつはああいうことができるんだろう。ど助平めだよ、あいつは」とつけ加えたのであった。そして、この点に関しては三上のいうことは真実であった。
 わが兄弟たちは、船乗りになるまでに非常に多くの苦しい経験をなめて来ている。そして、小倉などは、一村の運命をになって志を立てようとしていた。地理的にいっても、社会的にいっても、海は最も低いところで、そこへ流れて来た「人間のくず」どもは、現社会の一切ののろいを引き受けて来ているように見えた。
 女郎買いをすることは、船員の常習[#「常習」は底本では「学習」と誤記]であるといわれていた。ことに下級船員は、そのために、全収入を蕩尽《とうじん》するのだと、社会は例外なく考えている。そして、それは、多くの場合事実である。が、それがどうしたというのだ。
 彼らも女郎買いをしたくはないのだ。愛人が必要なのだ。だが、今の社会で口のあいた靴《くつ》をはいて、油だらけの菜っ葉服を着て、足の踵《かかと》のように堅い手の皮を持った、金をそのくせ持っていない、「海坊主」を、だれが一体相手になってくれるんだ! いつ海の藻屑《もくず》と消えるか、いつ片手をもぎ取られるか、いつ、遠洋航路につくかわからない、無細工な「海坊主」どもを、どこの「娘」が相手になるか。
 ブルジョアどもは、その娘をダンスホールへ陳列し、プロレタリアの娘を、監獄のよりも高い煉瓦塀《れんがべい》の取りめぐらされた、工場の中に吸い込んでしまって、その中の上出来なのを、自分らの玩弄物《がんろうぶつ》なる「妾《めかけ》」にしてしまうんだ。
 ブルジョアどもは、人間を、自分たちを除いた一切の人間たちを、字義どおりの「馬車馬」的賃銀|奴隷《どれい》にしたいという、本能的な欲求を持っているんだ。
 そして、労働者は、生きたまま、何万馬力の電動機によって運転されている「挽《ひ》き肉器」の中へと、スクルーコンベーヤで運び込まれるのだ。
 こうして、賃銀奴隷は最後まで、人間でありたいという希望と努力を挽き砕かれて、無機物か何ぞのように、ブルジョア文化の路傍へほうり出されるんだ。そして、それは、ブルジョア道路を永久的にするためのコンクリート中の一石塊となって、永久に、道路の一部をなすように、計画されてあるのだ。
 だが、今はもうその計画どおりには行かないだろう! われらに教育がないということは、われらから、教育の機会を掠奪《りゃくだつ》したやつらに責任はあるが、やつらに責任を負わせたってそれで労働階級がどうなるんだ。今、われら自身でわれらを教育するんだ。今、われらは、すべてを自分の手でやって見せようと意気込んでい
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